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クダン、フェネック、キャラクター
胡乱界隈にアンテナを張っている人たちは数日前に「予言刑事クダン」という与太の発生を観測した人がいるかもしれない。件の性質を持った刑事ドラマのいつもの集団幻覚だ。昨日はその集団幻覚から派生したのかどうかわからんが「バグれ刑事」というのが発生してる。
発生頻度高すぎないか!?
違う、今日は集団幻覚の話をしに来たんじゃない。多分そのうち三宅兄哥が紹介するんじゃないでしょうか。
予言刑事クダンの流れで懐かしい作品名を見かけたのです。
おすすめクダン漫画「空談師」
— とう腐 (@tofu_cake) February 24, 2021
文字通りクダン(クダベ)の出る、オンラインゲームを舞台にした物語!
篠房六郎はナツノクモ(これもオンラインゲームを元にした作品)も好きだったなぁ。 pic.twitter.com/2baPWzIdCf
『空談師』は篠房六郎の漫画でこのツイートのは長編版ですね。この長編の前に書かれた短編版の同名の作品もあります。それと『ナツノクモ』は同一のMMOゲームを舞台にしたものです。
このゲームは古き良きMMORPGの理想と言うのでしょうか、VRを今よりずっと進化させた機械を使ったMMORPGで登場人物たちはどの作品でも基本的にゲームの中のアバター(外装と呼ばれる)で登場します。なんとなくこの時期にはこういったアバターのみで展開する物語がいくつかあったような記憶があります。『ルサンチマン』とか『アクセルワールド』とかこのあたりの時期でしたよね。
/*(余談)
この辺りのMMORPGものがSAOでデスゲームと融合してエームの世界に閉じこもるようになった結果、今の異世界転生につながったのではないかなと感じていますが、間の作品名具体的に思い出せるかと言われるとぱっと思い浮かびません。ゲーム画面でステータスを確認するみたいなところに名残が残っている気がするのですが……
(余談終了)*/
改めて短編版を読み返したのですけれども、20年前(!)の作品とは思えないくらい今に通じる部分あったのでなんか書きたくなりました。というか、この作品が今の俺の諸々の見方とかに影響を与えてる気がする。
短編版の主人公の話をしよう。彼はかつてプレイヤーキラーであったが、あるときたまたま悪いGMを殺して以来、周りに英雄視されました。それから彼周りからみなされている英雄のように振る舞うようになります。
それは不思議なことではないのです。なぜならこれはゲームの中の話でしかないからです。行動に思想はありません。役割を演じているにすぎないのです。
そして、ゲームの中で接する限りにおいてはある役割を演じているならば、その役割がその人自体です。もちろん、噂とかハッキングとかでプレイヤーの姿が見えることはありますが。
演じたい役割と実際に演じている役割と演じている人間の揺らぎというのは篠房六郎の作品の共通するテーマな気がしますね。
ナツノクモは同じテーマを充実させてリフレインしたものですね。MMORPGものからは外れますが、『百舌谷さん逆上する』でも同じテーマです。
『百舌谷さん』は「ツンデレ病」という「好意を持った相手に暴力的な行動をとってしまう」架空の病を抱える少女、百舌谷さんの物語です。
百舌谷さんは作中でしばしば暴力をふるいます。それは表層上はテンプレ的なツンデレな行動のように見えます。百舌谷さんの暴力はツンデレな感情の発露の場合もありますし、ツンデレ病の発作の場合もありますし、その他の理由である場合もあります。
ややこしいのは伝統的なツンデレとは異なり、自分の症状を自覚しているということです。例えば彼女が誰かに好意を抱いたとしましょう。いえ、抱くかもしれないと思ったとしましょう。
伝統的なツンデレであれば素直に好意を抱き、テンプレートに従って照れ隠しで暴力をふるうでしょう。
百舌谷さんの場合は少し複雑になります。まず、彼女は相手に好意を抱くと良くない結果が起こることを知っています。ですから、何者にも好意をを抱かないでいようとします。そのため、初対面の人間に対してあまり好意を抱かない/抱かれないように振る舞います。これは見方によってはツンの振る舞いに見えるわけです。
けれども、人間関係の中で誰にも好意を抱かずにいることなんてできるでしょうか? 少し難しいことのように思えますね。
必然的に百舌谷さんは誰かに好意を抱いてしまいます。すると今度は相手を傷つける前に相手を遠ざけようとします。例えば暴力やいたずらによって。
それもまた、ツンの振る舞いに見えますね。やべえ、書いてきて頭がこんがらがってきたぞ。
百舌谷さんが演じたいキャラクターは完全に他者に興味のないキャラクターです。そうすれば誰かに好意を持たれたり好意を持ったりすることはありませんから。その理想形の一つは百舌屋さんのおじいさんです。
おじいさんはツンデレ病でありながら、それを完全に制御して他者に冷徹に振る舞い財界のドンになります。権力を持ち、他人に恐れられていれば好意とは無関係に生活できます。
/*(まあ、よく読むと読者視点では孫娘に対して甘々だったり、その親役に対して甘々だったりするのですが。その好意の示し方が脅しとセットだったり高圧的なある種のエクスキューズを経たものだったりすることで甘さを隠している、症状を誤魔化しているのかもしれません。本人が自覚しているか否かはさておき)*/
百舌谷さんはまだそこまで老練ではないので感情に振り回されます。親切にされれば好意を抱いてしまいます。それを彼女は決まって否定しようとしますが、生じてしまった感情をないものにはできません。ましてや彼女を見ている人間はその感情を観測します。このネジくれ曲がった感情がネジくれ曲がって進んでいくのが『百舌谷さん逆上する』の物語です。
百舌谷さんの表面上の行動はツンデレですが行動だけを見ていると、それなりに大きな感情である相手への好意が切り捨てられています。もちろん暴力を見て相手は「百舌谷さんが好意を持っている」と判断するかもしれませんが、彼女は本当は好意を好意のままに示したいという願望も持っているのです。それはツンデレ病によって隠されてしまいますし、そもそも彼女はそのような感情を持っていないように振る舞います。
実際に出力されているキャラクターから百舌谷さんが振る舞いたいと思っているキャラクターを引いたところに残るのは、彼女の「好ましい相手に好意を伝えたい」というキャラクターです。
読者は(あるいは感情の対象者は)その感情が見えたときに「好ましい」と感じます。当世風に言うとエモいというやつになるのでしょうか? なぜならそれはおそらく彼女の本当だからです。
翻って空談師の短編集は少しだけ毒のある結末を持ちます。
簡単に結末を言うと「外装の向こうの正体がわかったところで、どいつもこいつも互いに知っているのは外装だけ。その裏にいるのなんてどこまで行ってもわかんないさ」みたいな話です、たぶん。
実際にそんな世界が来てみると、それでも画面の向こうに本当があると思わないとやってらんねぇって気持ちになりますね。
以下、余談
あ、タイトルに入れたフェネックのこと触れるの忘れてた。
百舌谷さんでフェネックが割と重要な役割を果たすのです。ブドウとキツネの百舌谷さんの象徴だったり、好意を持ちたいという本性の象徴だったり。
われらが尾丸ポルカ座長がフェネックだと聞いて、思い出したのが『百舌谷さん逆上する』だったのだ。世間的には「けものフレンズ」の方が有名なのかしら。
考えてみればVtuberというのも設定と中身と出力の揺らぎが面白いところあるよなぁ、などとも感じます。Vtuberの古参のファンの方々は中身が見えることを不満に思うみたいですが。
私は出力は中身自体ではないと思うのです。中身のコンテンツ力は大切ですが、Vtuberはあくまで設定がない中身だけでは成り立たないのです。あくまで設定と中身の合わさったものとして出力されるのが今見ている配信者というものなのではないんじゃないですかね?
その最たるものである絶好のサンプルがあるのですが、とりあえず変化の結末をまだ迎えとらんので、どうにもならんのですよ……
余談2
さすがに空談師と短編が載っている篠房六郎短編集は電子書籍化されてなかったけれども、『ナツノクモ』と『百舌谷さん逆上する』はkindleで電子書籍化されておりますね。お手軽! どちらも名作なので読んでみるがよいのです。