営業再開を急ぐことで損失拡大となる場面も。調査を尽くすことが最重要/新井旅館 代表取締役相原昌一郎
※この記事は2024年3月発売、ホテル旅館2024年4/5月号に掲載した記事です。
今回の能登震災、同業者から伝わる厳しい内容に、その被害の大きさをあらためて感じますが、そうこうしているうちに東北震災から13年です。2011年は私にとっても非常に重要で、2月に代表取締役に就任し、1カ月後の震災ですべての予約を失ったところから私の旅館業は始まります。そして、この13年間は当館の復興の歴史とも言えるのです。
2004年10月、当館の南側を流れ、重要な借景ともなっている修善寺川が台風22号によって氾濫、ロビーや大浴場、庭園など旅館のほとんどが土砂に埋もれました。川沿いという立地から、被災は度々でしたが、ここまで大がかりなのは半世紀ぶり。客室は床上浸水となり、もっとも被害の大きかった棟では濁流によって4室が流出しました。幸い人的被害はなく、多くの支援者に助けられたことで1カ月後には営業を再開しましたが、この「再開への焦り」は、その後も日本建築を傷め続けます。
最初に気づいたのは就任半年後の夏です。池の上に掛かる渡り廊下の板がガタガタと落ち着きなく、胴長を履いて池中から見てみると、そこには川砂がぎっしりと詰まって根元を腐らせていました。続いては2015年。同じく池のほとりに建つ宿泊棟の床が傾きます。原因を調査すると、床下にはやはり川砂がぎっしり。雨が続き土中の水分量が増えることで川砂は水分を蓄えて土台を腐らせます。この改修には数カ月、数千万円が必要となりました。そして被災20年後の2023年。流出後に放置されていた最後の客室部分を大浴場に転換。また、浴室が埋もれ、風呂なしとなっていた客室に浴室を再建することが叶いました。
ほかにもこの台風では2つの貸切風呂と温泉の循環装置を失っています。貸切風呂は2014年に坪庭に、循環装置は再生を諦めたことで、源泉かけ流し宿となったわけですが、このように、被災は一瞬でも、その後の復興には非常に長い時間と莫大な資金が必要になります。表面上の修復は簡単であっても、床下や壁裏、土台や梁に残ったわずかなエラーが深刻なダメージを招くこともあります。瓦の破損やズレは雨漏りに繋がり小屋組みを傷めますし、給排水配管の破損やズレなども同様です。
なにをどこまで復旧させるのか。その考え方は施設によってさまざまでしょう。ですが、被災経験から語れることは、とにかく焦らずに、ということ。短期ではなく、数年、数十年を見越した再建計画を立て、関連する設備の徹底的な調査が求められます。それは結果として完全復興への早道になります。日も長くなり調査時間にも余裕が出るでしょう。あらためて、もう一歩先の調査を、なにとぞよろしくお願いします。
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