あの時の辛いブラック会社の経験があったからこそ今が
まだ終わっていないけど8月は色々ありました。
介護会社の社内のパワハラアンケートの結果報告がありました。
休みにコーヒーが飲める幸せ
建設現場上がりから見れば上司からの叱咤(罵倒)は当たり前で休み無し会社の経験から休みに会社を気にせずコーヒーが飲めるのは幸せ!
官公庁向けから民間向け会社へ
過去の回想になりますが学校卒業から会社は変わったものの、50で建設業以外の仕事を行うと思っていませんでした。
それは当時ブームだった太陽光の商社が工事部門を新設時の求人募集で人材会社から紹介されて、それまでの公共工事から民間工事会社になった初の会社でした。
国の発注する工事は良くも悪くも全てが書類でやりとりされて、初めて国の仕事を受けた業者は泣きが出るほどの手間暇かかり安全に関しても厳しいものでした。
そこの会社は幸いにしてコンプライアンスに厳しく安全管理部門が力を持っていました。民間ゆえに協力(下請け)業者からの接待はコッソリと受け放題でした。
わたしは名古屋営業所にいて後輩に工事とメンテナンスの2人が居ました。直属の上司は大阪にいる課長に報告、相談していました。
今からは思い出せないのですが、何かきっかけにその上司と合わなくなって退社に至りました。
出張メインから日帰りの仕事に
それまでは現場監理で出張中心の仕事から50を前に一作業員でも良いので自宅から通える仕事をしたいと思いました。
仕事は前職に似た太陽光発電の工事でした。これまでの管理ではなく1作業員として入社しました。
二次面接は人事から指示があった岐阜の営業所で道に迷って30分以上遅れて面談でしたので不合格と思いきや合格通知がありました。
ただ岐阜では自宅から通勤で遠いので名古屋営業所の勤務を打診して承認されました。
あとから思えばそれも上司と敵対される要因になりました。2週間の新人研修があり体育会系の軍隊並みと噂されて合格しないと入社出来ないと聞いてワクワクした事を思い出しました。
無事と言うかほぼ全員合格でした。研修を終えて名古屋営業所に配属されて上司に挨拶すると無愛想でしたが現場人間はそんな感じでしたので気になりませんでした。
現場に着くと何故かその上司に冷たく対応されて、こっそりと職人から「営業所で上司は営業所に1人だけした持たない資格の上位資格をあなたは持っているので面白くない」と聞きました。
これまで監理業務だけで現場作業は経験無いので厳しく当たられる事は覚悟していましたが、まさかの理由でした。
現場は朝発表された車に乗車しますが、私のミスもあり間違えて予定外の車に乗ってその上司が激怒されましたが、何とか現場まで行ってお詫びした事もありました。
求人に日曜日休みと記載されて上司から出勤の指示が無かったので近所の喫茶店に居ると上司から怒りの電話がありました。
状況が掴めずに聞くと怒りながら「うちは上役で月1回の休みなのに、新人のお前が何故断りまなく仕事を休んでいるんだ!」と人生の中で最も理解不能なお怒りでした。
翌日から更にイジメが厳しくなりましたが、反面職人さんから目の届かない所で親切にしてもらいました。
現場は実力社会なので資格ではなく技能で上司から認めてもらえるように先輩職人さんから学んでいました。
上司の元には腰巾着のように20代の若い人がついて同様にやりたい放題でした。ある日気の弱そう中年の職人さんの工具カバンを砂に埋めると言う暴挙を面白い半分でしました。
さすがに上司から注意を受けると思っていましたが面白がって見ているだけなので、ついに堪忍袋の限界がきました。
職人の世界は厳しいて仕事の出来ない人が徹底的にやられる所を見ていますが、職人の工具(カバン)は武士で言えば刀です、それを粗末に扱う上司に怒りを覚えました。
後日上司と喧嘩して退職の伺いをして、同一フロアの人事責任者の所長に伺うと「試用期間なので辞めたければ明日からでも来なくいい」と言われました。
天は観ているで無いですが月末の退職月に名古屋営業所の本社無いに移転の話しがありました。
本社にはその上司と腰巾着の若者が散々不合理に叩いた人が出世して頭の上がらない存在が出来たので、これまでのやりたい放題は収まる事を願っています。
時を経て思ったのは上司のやりたい放題の言動が本社にも伝わり営業所閉鎖に至ったように思います。
それともしかしたら二次面接を名古屋営業所で受けていれば八つ当たりは無かったかも、いや資格を見て不採用になった可能性も高いように思います。
そこで学んだのは現場職人さんと同じ目線にたってそれまで監理職として現場職人さんと接していましたが心構えは間違っていなかったように思います。
職人の親方に言われた通り上司のご機嫌をとり下手に出ていれば本社へ移転後は別の上司になっていたかも知れません。
しかし不合理な仕打ちを受けて黙って居たら、それまた現場の職人さんの支援を受けて居なかったかも知れません。
その辛い経験から介護職に
そのブラック会社に勤めた事が建設関係の最後の仕事になりました。選択肢として元の施工管理職に戻る道もありましたが自宅通勤の思いがありました。
現場作業の経験の私が採用してされたのは、ある意味ブラックだったからかも知れません。定年後に就くと思ってアルバイトをしていた介護仕事のフルタイムの話しをして受け入れは大丈夫な状況でした。
もし居心地の良い職場ならそこに居続けて介護職になるのはまだ先か、もしかしたら介護士にならなかったかも知れません。
そんな事があってから10年を過ぎようとしています。屋外出張の仕事も屋内日帰りの仕事それぞれに良さもあれば大変さもあります。
人生では予測不可能な出来事も多々ありますが、その場でベストと思える行動を取る事で良き変化があり良き人と巡り合える秘訣かも知れません。