「やりたい」を我慢しない
ワーママにとって、退社から保育園へのお迎え、そして帰宅までの流れは、一大案件ではないかと思う。
できれば、スムーズに拾ってそのまま帰りたいところ。帰ってご飯を作ってあれしてこれして…そんなことで頭がいっぱい。
だけど、そうは問屋が卸さない。幼児というものは、親が迎えにきたら嬉しいし、できればそのまま遊び回りたい。
わかる。わかるよ。うん。
と思いながらも、仕事終わりの心身ではどうもそれに応じてあげる余裕がなく、少し遊びに付き合ったらグズっても無理やり宥めて家に引き入れていた。
とある日。風がふと涼しくなり、少し秋の匂いを感じた夕方。
幸いにも夕飯の作り置きがあったので、家に着いて車を降りた後、いつも通りお外に行きたがる子どもに言った。
「お外、行ってみる?」
本当に徒歩で行ける近場の公園に行き、誰もいない薄暗い空の下、お砂遊びをしただけ。ただそれだけ。
だけど、心なしか、私も心も静かに穏やかに過ごしていた。
だんだん秋に近づく空。もくもく雲。少し涼しい風。一羽、二羽、飛んでいく鳥。時々通りかかる人の足音や、車が過ぎる音。
なんだか、世界に私たちだけしかいないような錯覚を覚えた。
家事をしながら家で一緒にいるよりも、なんだか近くにいる気がした。子どもと一緒に同じ時間を過ごせている気がした。
「暗くなってきたし、怖いねぇ。帰らない?」
そう言って抱っこし、私たちは家路についた。
人間、ダメって言われると反発したくなるし、モヤモヤする。
やらねばならぬ、の影に、我慢したという事実だけが残る。
そういうのって、大人も子供も関係ない。
ただ、やりたいことをやりたい。それだけ。
思えば、すぐ帰ってご飯を作るのを優先しようとしたのは、決めた時間にご飯を食べたかったから。
だけど、最近の子どもを見ていると、作っても遊んで食べないし、もしかしたらお腹減ってないし遊びたいしで、気持ちとやることがちぐはぐだったからなのかなぁと気づいた。
だったら、別にご飯いつもより遅くなってもいいよね。心もお腹も欲しいもので満たしたいもんね。うん。
どうも、やらねばならぬに気を取られ、本質が見えていなかった。私の本音も、子どもの変化も。
一通り遊んで満足したようで、この日は残さず遊ばずたっぷりご飯を食べてくれたし、お風呂も楽しく入れた。
こういうことだよね、うん。
正しくあることよりも、こうありたい、こうしたいを優先する。
案外悪くない。と思う。
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