初めての保育参観と、思い出した母の言葉
アフターコロナ、という言葉がややしっくりし始めた今年、初めての保育参観があった。
子どもの通う園は、コロナ禍をきっかけに、毎日の保育の様子を動画で見せてくれるので、なんとなく普段の様子は見ていた。
とはいえ、目の前でリアルに見るのはまたちょっと違う。集団生活の中で、子どもがどう立ち振る舞って過ごしているかを見るのは、初めてだった。
大きなブロック並べて遊んでるなぁ。近くでお友達もブロック積んでるね、高く積んでるなぁ。
と見てると、子どもがバーンと叩いて崩してしまった。ということが度々。
親としては見ててハラハラしてしまった。
特に、相手の子は泣いたり怒ったりはしてなかったが、一生懸命積んでたものを崩された気持ちはどんなものか。
なんだか想像して、申し訳ない気持ちになり、回り回って、自分しか見えてないような子どもの立ち振る舞いは親である自分のせいではないかとまで考え始めた。
(こういう思考の飛躍がお決まりのネガティブ思考すぎて、振り返ると笑ってしまうが)
マイペースは個性
ちょっと頭が痛くなったあたりで、ふと、子どもの頃に母が書いた言葉を思い出した。
小学生の頃、プロフィール帳というものが流行り(年がばれる)、当時母親にも書いてもらっていた。
そこで、確か、「私ってどんな人?」みたいな質問に書かれていた。
子ども心に印象に残ったのか、今でもはっきり覚えている。
同時に安心したものだ。
というのも、大人になった今も、人付き合いが苦手で、1人で黙々と何かをする方が好きなのだ。(仕事はバリバリ顧客折衝もあったのでようやってるなという感じだが)
なんとなく、それって悪いことなのかなと思っていたのかもしれない。だけど、この言葉を見て、それも自分の個性なんだなと腑に落ちた。ような気がする。
そして、親が私のよいところとして見ていてくれたことが嬉しかったのかもしれない。
紙一重だが、自分勝手と捉えるかマイペースと捉えるかで、見方は変わる。
子どものいいところを見たい
話は戻って、保育参観。
さすがに2歳なので、まだ遊びの好き嫌いや集中力のなさ、おともだちと遊ぶことへの理解不足はある。
だから、危害を加えない限りは、焦るものではないのかもしれない。
それよりも、周りの子と比べて「できてない」と思うか、「個性」と思うかで、親の気持ちも声掛けも変わってくると思った。
かつて、私が母からあの言葉をもらったように、私は子どものできてないことではなく好きなこといいところをまず見てあげたい。その上で、いけないことをしたら注意し、教えて、周りとうまくやれるようそっと支えてあげたい。
それでいいのだ、と思った。
それからは、保育参観で様子を見ていても、心がザワザワしなくなった。
ああ、これは好きで、これはまだ楽しさがわかってないんだな。うちでもこういう遊びしてあげようかな。
そんなことを考えていた。
子育てで自分も育てられる
そう思うと、子育てすることは自分育てにもなるんだなぁと改めて思った。
幼児のように1年で目覚ましい変化や成長はないかもしれないが、思考や感情の面で、今までの経験や記憶を活かして、人生を熟成させていく楽しみが、大人にはあるのかも。
保育参観が終わった後、私は夫にLINEした。
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