人と違った生き方に憧れた20代。人並みの幸せが欲しかった30代。そして40代。「Alone again, naturally…」
私は就職活動をしなかった。
会社員になりたいとこれっぽっちも思わなかった。
結婚に希望も持てなかった。
人と違った人生を歩むんだと決めていた。
お金を貯めて、好きなことして、やりたいことを見つけようと思っていた。
フリーターになった。
20年前の当時はフリーターという人達がいっぱいいた時代だった。
花屋でバイトをし、100万円貯めて、地球一周の船旅をした。
本屋で働いた後は、好きだった写真の勉強をするために学校へ通った。写真家になろうとしたが半年で辞めた。
その後は印刷会社で働きながら、セツ・モードセミナー(新宿にあった絵の学校。今はもう閉校している。)に通った。
簡略的に書いたが、他にも様々なことをした。
北海道にも少し住んだし、ポレポレ東中野(映画館)のドキュメンタリー映画講座にも通ったし、靴職人に憧れて革靴を作る講座や、鞄作りがしたくて文化服装学院の講座にも通った。
DTPオペレーターからデザイナーに転身しようと原宿のデザイン事務所でも働いてみた。etc…。
20代のうちにやりたいことを見つけようと、必死に、てんでばらばらに、もがき生きていた。
そしてどれひとつ続かなかった。
20代。
私は何も見つけることができなかった。
33歳の時、母親を癌で亡くした。
それと同時に結婚をした。
夫は一回り年下の大学生だった。
公務員が内定したばかりの冬の出来事だった。
夫は21歳という若さだったが、
とても落ち着いていて、優しくて、頼もしかった。
母親を介護の末自宅で看取り、父親との長年のトラブルを抱えていて、心が心底病んでいた。
病院に行ったら鬱病と診断された。
それを支えてくれたのが夫だった。
私はその頃仕事をしていなかった。
近所でパートを見つけ、家事をし、夫の帰宅を待つ。
そんな半分主婦のような生活をしていた。
一回りも年下の夫に甘えさせてもらっていた。
私は幸せだった。
この人と生きていける、それだけで人生が満たされた想いだった。
これでもう大丈夫。
やっとやっと幸せを手に入れられた。
人並みの幸せで充分だと思えた。
そんな自分が嬉しかった。
37歳で娘を出産をした。
家族という形が出来た。
もうこれ以上何も望むことはないと思った。
20代の私にはまったく想像出来なかった世界が現実に広がっていた。
子育てをして、家族仲良く暮らしていくのだ。
もうそれだけで私の人生は100点だった。
今までの曲がりくねった破天荒な道のりも、苦労も、ぜんぶ結果オーライだった。
39歳で離婚をした。
娘の親権は取れなかった。
絶望をして、
2年間引き篭もった。
なんとか就職はしたので準引き篭もりと言ったところだろうか。
一人暮らしの父親の団地に居候させてもらった。
一部屋寝床をもらった。
仕事から帰宅して夕飯食べてお風呂に入って、布団に入ってスマホでひたすら動画を観る。
それしかやることがなかった。
そんな生活を毎日続けた。
2年して、そんな仮暮らしが辛くなってきて、
一人暮らしをはじめた。
私はまたひとりになった。
自由になった。
人並みの幸せを失った。
ママ友も居なくなった。
ほとんどの友達は子育てで忙しい。
休日はひとりで出掛けて、
好きな服を買い、喫茶店でコーヒーを飲み、
本を読んだり、好きなバンドのライブに行ったりしている。
私の生活には、もう子育てがないのだ。
子育てとか、あったかい家庭とか、
そういう話題はもう遮断すると決めた。
悔しさがたまに顔を出す。
それを紛らわすかのように、
買い物依存症のように服を買い、
また買ってしまったと反省する。
こんなに独身を謳歌していて、
いいのだろうか…。
誰かに咎められないではなかろうか…、と、
ビクビクしている。
私は今、そんな43歳の日々を送っている。
私は何者にもなれなかった。
人並みの幸せも結局手に入らなかった。
どうやらやっぱり人並みとは違った人生を送ることになりそうだ。
30代を経験して、20代のようなあの感覚はもう持てないだろう。
Alone again, naturally…
人は結局はひとりなのだよ。
それを心に留めて生きていく。
今日はずっとこれを聴いている↓
私はこの歌が大好きで、
たまに無性に聴きたくなるのだ。言わずもがなの名曲である。
ギルバート・オサリバン
「Alone Again(Naturally)」
(歌詞が意外でいいので良かったら調べてみてください。)