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Episode 352 ブラックボックスを作るのです。
小学生ぐらいになると対人コミュニケーションスキルは飛躍的に向上していくのが定型者の社会なのだと思うのです。
いつまでたっても「こどものケンカ」が繰り広げられるワケではない。
社会的な行動範囲の広がりとともに「こころの理論」が分かるようになってくるのでしょう。
具体的には、「あなたの立場に立って物事を考える」=「客観的に私自身を把握する」が出来るようになるということだと思います。
こうしてこどもは「カオナシ」を卒業していくのだと思います。
それに対して私はどうだったのか。
仕事をしている母とマンツーマンの関係で家にいることで、基本的には会話が成立しなかった。
うるさい環境と、私自身とは無関係に一方的に喋りまくるラジオ放送は、聞くことを意図的に遠ざけた。
約束と痛みが結びついたトラウマが、「言葉」=「指示」の関連性を作り上げた。
故に、指示系統以外からのコミュニケーションとしての言葉の理解が出来なかった。
その一方で、目上の相手とは指示に対して忠実に実行できる「聞き分けの良い子」であるが故に、問題があると認められない…。
そんな私でも小学生ぐらいになれば、「上からの指示」だけで動くワケにはいかなくなってくるのです。
学校に行けばクラスには「班」があったり「係」があったり。
対等な関係から目的地を見つけて行動するには、相手がどのように考えているのかを確認する必要があった…にも係わらず、相手と私の考え方に差があることに気が付いていないワケです。
目上からの指示に従って行動すれば、誰もが同じ結論に至るはず…「読書=楽しい」は世界の言葉、私とあなたが違うことを考えているなんてあり得ないワケです。
ASDの子が「自己中」に見える理由…それは、私の考えていることは一般論であると思い込んで疑わないということ。
当然のことながら、あなたの意見に共感することはありません…だって、あなたと私は同じことを考えているハズですからね。
そこには「指示された言葉」が概念として固定する仕組みがあるのだと思います。
これが形成される過程は、多分みんな違うのだと思います…これはあくまでも私の場合。
私はもともと苦手だった「聞く」を、無意識のうちに意図的に放棄しました。
「こころの理論」の一歩目で躓いてしまった私は、引き離される感覚差を埋めるべく、「なぜそうなるのか」を省いた入口に出口をショートカットで繋げるブラックボックスを編み出すのです。
根本的な部分の理解を欠いたブラックボックスが一風変わった言動をする私を作り上げるのはご想像通りだったのだろうと思うのです。
旧ブログ アーカイブ 2019/9/1