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Episode 777 本質が顔を出すのです。

突然ですが、2024年10月19日(土) に、発達障害に関する自助会のイベントをやります!

自助会フェスタ 2024in にいがた

NPO法人 いきいきムーンの代表でいらっしゃるしーやん(@superseeyan)さんが、自助会の持つ効果と可能性を広げていくことを目的として行なっている「自助会フェスタ」。
それを大都市圏での深掘りだけではなく、地方都市へ裾野を広げていこうというハナシがありまして…。

実はこの企画、半年以上前から温めてきたものだったのです。
この企画をやりたかった理由は過去記事「アンプを用意するのです。」に詳しいので、そちらをご覧いただくとして、今回の話題はそれではないのです。

先ほど掲げたイベントのフライヤーね、『萬代橋』のイラストデザインから下のテキスト部分を作るのに、かなり苦労したのですよ。
その理由は、「アンプを用意するのです。」で書いた『想い』を、あれもこれもフライヤーの言葉にしたくなってしまうから。
「何を伝えたらよいのか」の優先順位を上手く付けられない…どれも伝えたくてゴチャゴチャのモノしかできず…。

なんやかんやと削りまくって、何とかカタチになったものが貼り付けたヤツ…それでもテキストの量 (文字数) は多いよねぇ。

前からお話ししていることなのですが、私はAS"D"でも所謂「受動型」と呼ばれるタイプの Autistic(自閉の民) なのですよね。
私は最近、「自分の持つ Autism(自閉) 資質単体では障害 (≒Disorder) にならない」と言う意見に落ち着いています。
それが社会の多数派を占める Allistic(非自閉の民) から見て、不都合に感じる異質に抵触すると、障害 (≒Disorder) と判断されるワケです。
その障害 (≒Disorder) と見える Autistic の行動パタンこそが、AS"D"のタイプ分けになる…「受動型」のほかに「積極奇異型」とか「孤立型」とかね。

その「受動型」と呼ばれるタイプは、自分の「異質」の指摘を避けるために自らの意見を言わないで、他者に迎合するライフハックを多用するのです。

「潜伏型(≒よい子)ASD」の最大の特徴は、「普通の模倣」をすることによる「社会への潜伏」です。
但し、自らの意思で「潜伏」を選んだ結果として、強力な受動傾向を受け入れることになる…誤解を恐れずに強い言葉で言うならば、社会に溶け込もうとする「模倣」に「私の判断」を売ったということでしょう。

note記事「組織に潜るもあり得ます。」より

ただ、だからと言って、全てにおいて誰かに判断を仰げるのか…と問えば、そうではないのです。

例えば今回のような場合ね。
本当に私が完全なる「受動型」であれば、このイベント企画をやってみたいと思ったとして、その手続きの全てを企画元であるしーやんさんに任せていたに違いない…と。
ところがですよ、新潟の街でイベントに絡んだ交渉ごとに出られるのは私しかいないワケです。
もう「受動型」だから…などと言っていられないのですよ。

確かに私は「受動型」が強いAS"D"者です。
でも、私が「受動型」であるためには、依存できる誰か(または何か)がないといけません。
その依存できる存在を見つけることができなくなった時、「受動型」は成立要件を失って、素の Autism(自閉) 資質が前面に出るは、ありそうだな…と。

誰かに指示を受けて、必要な情報を盛り込んだフライヤーを作ることは、恐らく私にとっては難しいことではないと思います。
もちろん、デザインやレイアウトなどの「センス」を求められる部分は素人ですから、プロのような美しい仕上がりにはならないでしょう。
ここではそういう意味ではなく、必要な情報を過不足なく網羅できるか…という意味でのハナシです。

そうではなく、指示を受けることなく、自らの意思でフライヤーを作るとして、「そのフライヤーにどんな情報を求めてられているのか」のポイントが把握できない、ポイントを押さえきれる自信が持てないのですよ。

Autism(自閉) の本質は「他者視点が持てないこと」なのだというのは、私の経験から間違いないのだと思っています。
「私ではないあなた」から見て、私の言動がどのように見え、どのように聞こえているのか、それを感じながら自分の言動を無意識にコントロールする能力が…ない。
だから自分の意見を封じる「受動」というライフハックが成立するワケですよ。
そのライフハックに頼れない…という不安が、必要とされる情報(≒伝えるべき情報)を取捨選択できない現象となって表れたのだと思います。

何とか作りあげたフライヤー。
とりあえず、関係各位様のOKをもらって、無事にリリースしたのです。
今回、こんな苦手からの Autism(自閉) 資質の深掘りができたのは、苦手に取り組んだご褒美だったのかも知れません。

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