Episode 210 「一緒に出来る」が欲しいのです。
ハンデキャップという言葉の二面性について考えたことがあります。
ひとつはゴルフに代表されるゲームの均衡を意図的に作る目的で設定されるハンデキャップで、もうひとつは障害者などの精神的・知的・身体的な不利を指して語られるハンデキャップです。
私のようなASDと呼ばれる発達障害を持つ人のハンデキャップは、社会生活をしていく上で不利になる部分を持ち合わせているという意味で、後者のハンデキャップを語られることの方が多いようです。
でも、本当に大事なのは前者であるような気がしてならないのです。
精神障害者福祉手帳を取得する前までは、障害者と健常者・定型者を「線引き」するものとしての障害者手帳のイメージが強かったのは本当のところです。
手帳を取得するときに手帳とともに行政から渡された「障がい者(児)福祉のしおり」なる冊子には、手帳取得者に対しての行政としての「福祉サービス」一覧が事細かに記載されていました。
ページ数にして実に130ページです。
ハンディキャップがあると認定された人に対して、行政はこれだけ「手厚いサービス」を行いますよ…。
うーん、私が欲しいのはそんなことではないのだけども…。
もちろん「自立支援医療の給付」とか、「あって良かった」と思うような支援はあります。
けれど手帳を取得して時間が経つごとに、私が欲しいのは「障害者としてサービスを受ける権利」という感じのものではないのだと、ハッキリと思うようになってきたのです。
私が欲しいのは「サービス」ではなくて普通に生活するための「支援」だと理解したのです。
それは、当にゴルフのハンディキャップのようなもの。
社会で生活していく上で足りない部分に「ゲタ」を履かせる…表現はよくありませんが、つまりそう言うことだと思うのです。
例えば…障害があり、思うように仕事ができなくて生活していく収入に余裕が無い…なら、所得税・住民税の減免は非常にありがたい。
でも、それと社会に出ていく支援が繋がらない…。
社会に出て収入を得るには、社会に出るための支援や配慮が必要です。
必死で社会に出ようともがく障害を抱える人に対しての支援が的外れ…。
「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律(障害者差別解消法)」には、障害がある人に対して「合理的配慮」の提供を求めるとあります。
その点について、「配慮=カイゼン」だと指摘しました。
私は運よく職場でその「配慮=カイゼン」を理解する機会を得ました。
私が使う「ノイズキャンセル機能付ヘッドフォン」は、社会生活を行う上で不足してしまっている部分を補う「ゲタ」です。
「合理的配慮」とはゴルフのハンディキャップと同じであって、一緒にプレーして楽しいコンペになるように、不足を補うものだと思うのです。
障害者手帳は、行政から福祉サービスを受けるための「パスポート」だと私は思いません。
私とあなたと背の高さが違うのだから、目線を合わせるための下駄の高さも形も違うハズ。
ぜひ是非、ゴルフのハンディキャップ的なイメージで、障害の「支援」を理解してほしいと思うのです。
私たちが欲しいのは「はれ物にさわる」ことでも「ちやほやされる」ことではなく、「一緒にできる」環境にするための支援なのです。
旧ブログ アーカイブ 2019/4/12