
Episode 799 本質こそが王道です。
私はこのnoteのアカウントの他に、𝕏 にアカウントを持っているのですよね。
最近、その𝕏 から別のSNSに移る人が増えている…というようなことが言われるようになりました。
それはTVニュースでも取り上げられるほど…裏を返せば、それだけ𝕏 が多くのユーザーから支持されるプラットフォームだったのだと言うことなのかもしれません。
𝕏 離れが進み始めた原因はイロイロあるのでしょうが、大筋の理由については、埋め込んだNHKの解説記事の通りなのでしょう。
そもそも 𝕏 は、Twitterというショートメッセージ型のSNSだったワケです。
それをアメリカの実業家であるイーロン・マスク氏が買収して…というコトの顛末は、誰もが知るあたりなので、多くを語る気はありませんが…。
そのTwitter から 𝕏 へ社名とSNSプラットフォーム名が変わったあたりから、𝕏 への不満が多く聞かれるようになり、他のSNSへの流出が始まった…と言うのが私の認識です。
では、「そう言うあなた (つまり私、HOTAS) はどのように思っているのか?」…ですが。
Blueナントカとか、mixiナントカとか。
— ɦσ+(ɦσƭαร) (@HOTAS10001) December 18, 2024
X(旧Twitter)離れが進んでいるみたいだけど。
私はどこに行っても同じことが繰り返されるのだろうと思っていたりする。
心地よい環境を求める気持ちは否定しないが、私はSNSに「心地よさ」を求めていないからなぁ。
言葉/表現の拡散がSNSの本質だと思うし…。
今のところ、他のSNSプラットフォームに引越しすることは考えていません。
𝕏 内でも「サブアカ」を持たない私、幾つものアカウントやプラットフォームを同時並行して使いこなす自信がないのが大きな理由です。
実際、私はInstagram にも 𝕏 とは違う路線のアカウント(@otoan_hotas) を持っているのですが、こちらの方は更新もまばら…。
𝕏 を自助会活動の「広報媒体」として使用している関係もあり、「𝕏 離れ」と言われても尚「SNSのガリバー」である 𝕏 からどこかへ移るメリットはない…というのが実情でしょうかね。
【自助会のご案内】
— ɦσ+(ɦσƭαร) (@HOTAS10001) December 8, 2024
第70回@HOTASの会
日時:1/12(日) 13:30〜15:30
場所:クロスパル新潟 4F ゼミナール室
参加費:100円
発達障害に関しての茶話会をしてます
詳細はDMにてご案内します
JR新潟駅 万代口より徒歩20分
新潟交通バス「礎町」または「本町」下車、徒歩3〜5分https://t.co/nDljokUJT3
要するに「イロイロあってもユーザー数の多い 𝕏 が、私にとって一番メリットがあると思う」その一方で、「𝕏 への愛着」という視点は、とても薄いのだと思います。
この辺りがさ、Autistic(自閉の民)の「合理性」なのだと思ったりするのよ。
— ɦσ+(ɦσƭαร) (@HOTAS10001) December 18, 2024
SNSにコミュニティを求めていない…みたいなところ。
他者との関係性を考慮しない「SNSの本質」としての機能を剝き出しにすると、「ブロック貫通」の意図も見えてくる気がする。 https://t.co/ClJ4SkFhGd
このポストは次のように続きます。
ネット上にコミュニティを持ちたい…という気持ちは否定しないし、否定できないけれど。
拡散力の高い媒体に「平和なコミュニティ」を維持するのは困難極まりないのだとも思うのね。
X(旧Twitter)から離脱する流れってさ、SNSの本質以外の使い方がSNSに求められている結果なような気がするのです。
つまり「SNSプラットフォームに居心地を求める」ってのは、「コミュニティの要素を持ち込む」ということなのだろうと思うのですよ…でもね。
SNSにコミュニティを作ろうとして、上手く行ったことがあるのか…と。
居心地の良いコミュニティを作ろうとすれば、どこかに居心地の良さを作るための「排他性/閉鎖性」を含まなければならないのだと思います。
それがSNSの本質である拡散性の高さ…
①情報が広がる拡散力 (範囲の広さ)
②情報が広がる瞬発力 (早さ)
…との相性がすこぶる悪い点は、理解しなければならないだろう…と。
昨今の「𝕏 離れ」の話題で気がついたこと。
それは、私はSNSに、このコミュニティの要素を求めていない…求めるいるのは、私の発信の効果的に拡散されることです。
それこそがこのnoteにも、𝕏 にも、Instagram にも、SNSと向き合う私の共通の姿勢という点であると、改めて思うのです。
ここまで来て、イーロン・マスク氏が推し進める「𝕏 改革」で、多くの方が改悪と評価する「ブロック貫通」を考えます。
私はイーロン氏本人ではありませんから、あくまでも私の意見ですけどね、私はSNS上で誰一人としてブロックしていないのですよ。
もちろん、ブロックされている…は、あるのですけれど。
私はSNSのブロックという機能に、コミュニティの要素を感じているのだと思います。
「特定の誰か」とのやり取りであっても、タイムラインに載れば世界中に拡散されるのがSNSの世界です。
それは「拡散性の高さ」というSNSの本質から考えて、仕方がないことである…とした時に、拡散性という本質を犠牲にするブロック機能はSNSの未来に希望を作るのか、混迷をもたらすのか…?
過去に興隆を極めた「ネット・コミュニティ(敢えてSNSと言わない) 」は、コミュニティとしての心地良さを求める方向にシフトした結果として排他性/閉鎖性が強くなり過ぎて、新規利用者の低迷に繋がった可能性はないか?
SNSの本質を考えた時、本質がどこにあるのかを考えた結果として、コミュニティとしての機能を排除していく方向に「ブロック貫通」はないか?
イーロン・マスク氏は Autistic(自閉の民) であることを公言しています。
あなたとの関係性よりもモノゴトの本質は何かを考えて行動する資質 (アロセントリック<エゴセントリック) が Autistic 的であるとしたならば、𝕏 をコミュニティ・ツールとして見るのではなく、あくまでもSNSという情報発信ツールとしてシンプルに機能させたい…と考えた可能性はないか…。
昨年(2024年)末に 𝕏 のスペース上で開催された「公開版 自閉文化を語る会」で話題になった、「恥・恥ずかしいについての自閉文化」で語られる「Autistic 的な恥ずかしさ」の根っこに見えるものに、「アロセントリック<エゴセントリック」な、他者との関係性よりも自己納得をベースにする思考が見え隠れする辺りに、SNSの本質を考えるイーロン氏の思考が見える…とか言うのが、私的に「ブロック貫通」の落としどころ…なのかもしれません。
— 村中直人 (Naoto Muranaka) (@naoto_muranaka) December 21, 2024
今年もまた、こんな風な「独り言」をネットにアップする…が、私のスタイルだということで。
新年あけましておめでとうございます。
今年も皆さまにとって良い年でありますように。
本文中に登場する「アロセントリック」「エゴセントリック」な感覚についての科学的な研究は、井手正和(@IDEmRes)先生の、この著書に詳しく解説されています。
興味のある方は、ぜひ。