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「ある」が油断を作るのです。

2月も既に月半ば、毎月一回ずつ連載していた「Autistic(自閉の民) 的『葬送のフリーレン』深読み企画」は、13回目にして最新刊に追いつきました…と言っても、来月には最新「第14巻」が出る予定なので、来月までは毎月連載する予定ですが。

とりあえず「その先は、最新巻がでる毎に企画の続きを書こうかな」…などと、すっかり追いついた先を考えてますが、その前にキチンと第13巻の深読みをしないといけませんね。

第13回目の「深読み企画」ですから、今回のテキストは単行本第13巻です。
第13巻のあらすじは、北部高原の北端、関所のあるキーノ峠近くの「女神の石碑」にまつわる出来事の完結から、関所を越えて帝国領に舞台を移し、帝国と大陸魔法協会の確執から、建国祭開催中の帝都アイスベルクにて「大魔法使いゼーリエ暗殺」という不穏な計画の実行前夜へ…という感じでしょうかね。

私の書くあらすじは、単行本のオビに書かれる程度の「サラッと」したものです。
内容に興味がある方は、ぜひ本を購入して読んで下さい。

さて…今回のトピックはこちら。

グラオザーム。
お前は甘く見すぎたんだ。
持たざる者の研ぎ澄まされた感覚を。

「女神の石碑」に近い場所にて、フリーレンの言葉

時空をこえて過去に流されたフリーレンは、「女神の石碑」付近で、強力な精神魔法を操る七崩賢の大魔族「奇跡のグラオザーム」らの攻撃を受けるのです。

フリーレンの物語では、魔法を使えない人間にも微量ながら「魔力」は存在するようです。
魔法とは、自らの「魔力」を特定の術式によって能力として表出させる技術のこと…と考えると、イメージが掴みやすいと思います。
但し、魔法を使うには、一定の水準以上の魔力を要するワケね。
グラオザームらが操る精神魔法は、この誰もが持つ「魔力」に働き掛けるタイプの魔法だということです。
つまり、「魔力」に働き掛ける都合、魔力が強いほど魔法に掛かりやすいワケです。

グラオザームが繰り出す精神魔法に対し、僧侶であるハイターは女神の魔法である「女神の加護」で対抗できたのですか、フリーレンとヒンメルは、グラオザームの魔法にかかってしまい、幻影の中に閉じ込められるのです。
ただ、深く幻影の中に閉じ込められたフリーレンと違い、ヒンメルの見た幻影は、フリーレンと比較して浅いものでした。
何故か…それはヒンメルの魔力が、とても小さなものだったからです。
要するに、ヒンメルには深くしっかり魔法が届かなかった…そこにグラオザームの繰り出す魔法への打開策があったワケです。

まぁ…物語の方は、原作を読んでいただくとしまして、注目すべきは「持たざる者の研ぎ澄まされた感覚」です。

これは先日私が𝕏に投稿したものです。
このポストは以下のように続きます。

見える、聞こえるからこそ、見えない、聞こえないが怖いのだと思います。
そして見える、聞こえるが標準だからこそ、見えるない、聞こえない世界にいるヘレンは「怖かっただろう」…と想像する。
それは見える、聞こえる人の感覚であることを、見える、聞こえる人たちは知る必要があると私は思います。

グラオザームは、「魔力はあるもの」として魔法を掛けたのでしょう。
そして、多くの人は「そのレベルの魔法で」十分に効果があった…ヒンメルもそのレベルで幻影を見ているワケですしね。
でも実際は、多くの人が幻影の中にも現実の影を見れるレベルだったのかもしれません。
その現実の影を頼りに人々が動けなかっただけ…だとしたら、グラオザームが思うレベルで人々に魔法が掛かっていたのか些か疑問です。

強力な魔力を持つグラオザームは、自分の魔力を基準にものごとを考えていたのでしょう。
魔力が弱いなら、弱いなりに別の方法を考えます…魔法使いにならなくても生きていけるワケですから。
でも「魔力が弱い」という感覚が、「魔力が強い」グラオザームにはわからないのですよ。

魔力が弱くても強くなりたかったヒンメルは、魔力に頼らない強さへの鍛錬の道を探ったのでしょう。
結果として、フリーレンとは違う「研ぎ澄ませた感覚」を持つ「勇者」となったのです。
その違う感覚を持つ誰かを、私の持つ感覚だけで判断すれば、その感覚の差から「油断」が生じることになるワケです。

私たちAutistic(自閉の民) は、Allistic(非自閉の民) が持ち合わせている他者視点からの自己客観能力が弱いことが多い…と、されています。

その弱い感覚ゆえに、持ち合わせている自己主観からの情報によって社会との接点を作ろうと努力するワケです。
ある側からすれば、あり得ない感覚のズレによる驚きは、「グラオザームの油断」そのものです。

障害は能力がある側から見て「ない」と判断されて表出することが多いように思います。
では何故「ない」が障害となるのか…と問えば、「ある」側から「ない」の想像が難しいからなのだと、そんなことを思ったのです。


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