Episode 167 続けることが大切です。
日々ブログを書いていて感じることは、継続することの大切さです。
私は朝ルーティンの中にブログ記事作成が組み込まれているので、皆さんが思っているほど更新に苦労していません。
上手く文章が紡げなかったり、ネタの選択を誤って苦労する…ということはありますけどね。
仮に「ブログ更新は不定期で」とか「週一回のペースで」という感じで運営していたら、逆に続かなかっただろうと思います。
そこにはASD的な予定調和が関係します。
アバウトな先の予定に弱い。
一週間に一度という予定は、私の中で理解不能です。
それならば「毎週○曜日の□時に」にしてもらわないと…。
私の週間ルーティンのイメージは、ごみ収集のスケジュールと同じ感覚です。
火・木・土が燃えるゴミ、月曜日はビンカンで、金曜日は廃プラ、時刻は午前8時まで。
これに合わせてゴミ捨てをするのは可能なのです。
何時いつまでにナニをするのか?
そこがハッキリしていることで自分の行動を予定通りに動かすことが出来るわけです。
ただ、予定調和が重荷になるということは正直言ってあり得ることなのです。
特に最終納期が完結しない案件に関しては、継続すること自体が自分自身の重荷になることがあることを私は知っています。
先日、順調な運営に見えたオンライン上の当事者サークルが運営休止のピンチを迎えました。
自分自身がやりたかったことと、それにかけた情熱は、管理されていた方の想像を超える負荷だったのだろうかと思います。
自分自身が地元に当事者サークルを準備している矢先の出来事でしたので、管理されている方の気持ちを想像してしまい、私に出来ることを考えました。
そして、出した答えが「会を支える」ということ。
このブログもそうですが、発達障害を取り巻く環境は今現状は「さざれ石」みたいなものだと思うのです。
個人が単発的に発言しているブログやSNSでの情報発信、地域での当事者サークルや自助会、その殆どに連携が乏しい状態が見て取れる気がします。
日本海側の地方都市に生活し、大都市圏と違う地方ならではの難しさを抱える地域で当事者サークルに需要はあるのか?
それは地域という「井の中の蛙」ではないのか?
グルグルと頭の中を巡る思いに区切りをつけるのは、オンラインサークルの休止の件でした。
「井の中の蛙」で終わらない。
日本中の各地に繋がる環境を整備してくれたそのネットワークを支えたい。
井の中の蛙はオンラインで大海を知る。
そして、地域特性という空の高さも知る。
苦しい時こそ何とかささえあいたいと思うのです。
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌となりて
苔の生すまで
国歌についてはいろいろと議論になりますが、私は背景は抜きにして「純粋な歌詞としての意味」は好きです。
正解かどうかわかりませんが、発達障害者という「さざれ石」が仲間とともに「巌」になる道筋を途切れさせてはいけないような気がするのです。
地方と全国を繋ぐオンラインに、私は希望を感じているのです。
旧ブログ アーカイブ 2019/2/28
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