Episode 783 知ろうとするのが大事です。
今年もはやいもので、10月になってしまいました…と、いうワケで、今月も「『葬送のフリーレン』を Autistic(自閉の民) 視点で深読みしてみよう」の企画で、記事をひとつ書いてみます。
単行本を月に一巻ずつのペースで読み進めて、今回は連載9回目です。
当然、今回のテキストは単行本の第9巻ということになります。
それでは第9巻のあらすじを…。
魔王城のある北の果て「エンデ」を目指すフリーレン一行は、北部高原を進む途中、城塞都市ヴァイゼの近郊で、一級魔法使い試験に合格して昇格したデンケンと再会し、その流れに乗って七崩賢の魔族である「黄金郷のマハト」との対話に望む…ザッと、そんな感じですかね。
毎回同じことを書くのですが、私はこのnote記事で「物語のネタバレ」を望んでいません。
物語に興味のある方は、是非とも原作マンガを手に取って欲しいと思っています。
ですからハナシの流れについては、極力触れないようにしています。
その点はご了承いただいて…。
さて、今回のトピックはこちら。
フリーレンの物語の中で語られる魔族とは、人間の言葉を「欺くための道具」として使う魔物を指します。
それは、物語の中でフリーレンによって語られていることでもあり、私の「フリーレン考察」の第3話でも指摘したことです。
つまり、何らかのコミュニケーションを使って分かり合う努力をする意味がない存在として語られているのです…今まではね。
でも、今回初登場の「黄金郷のマハト」は、ちょっと魔族としての色合いが異なるようです。
マハトは「悪意」や「罪悪感」など、人にはあって魔族にはない感情/感覚があることに気がつき、その感情/感覚を「知りたい」と興味をもつのです。
ところがですよ、相対するフリーレンは、マハトへの不信感を隠すことなく表現するのです。
それはそうでしょうねぇ…。
フリーレンの故郷の村は、魔族の襲撃によって全滅しているワケで、そこを彼女の師匠である大魔法使いフランメに救われたのですから。
フリーレンの中に生まれてしまった「大切なものを失った悲しみ」と「魔族に対する怒り」は、そう簡単に消えることはない…というのは、想像に易いことです。
ましてやフリーレンは、600年前にマハトと対戦して負けているワケで。
フリーレンの記憶の中には、紛れもない魔族としてのマハトがいた…そしてそれは今も変わらないのでしょう。
だから、フリーレンの中にある「魔族に対する不信感」が、対話を望むマハトを知ろうともせずに「分かり合えないことが、よくわかった」という言葉で切って捨てる態度になって表れるワケです。
そして恐らくコレは、フリーレン自身に対してのブーメランでもあるワケです。
知ろうとしなければ何も始まらない…「人間のことを知ろうとする」ことから始まったフリーレンの今の旅がある一方で、「魔族のことを知ろうとしない」から、魔族との関係には進展がないのですよ。
分かり合うとは、共存とは、決して友好的な合意とイコールではない…というこは、今年5月にあずさ(@41azusayumi)さんとのスペースで確認したことです。
つい最近、そのことについてのタイムリーな記事を、あずささんも書いていらっしゃいました。
マハトの言葉は、的確で重い。
この先、フリーレンの物語の中で、人間と魔族の関係がどのようになるのか…は、今の私にはわかりません。
ただ、相手を知るほどに自分を知り、その結果として、「相手とどの様な関係を求めるのか」が導かれるのでしょう。
それは友好か、決別か?
共存とは「共有」なのか、それとも「棲み分け」なのか?
コレは現実社会で Autistic(自閉の民) を囲む問題とよく似ているのだ…と、私は思います。
先ず、「自分とは違う感性/文化を持つあなたを知ろうとすること」が大切なのです。
あなたを知るほどに私を知り、お互いの理解の中で共存の最適解を見つける必要がある…と。
その結果は、魔族と人間の関係についてマハトが言うように、共有なのか、棲み分けなのか、その当事者によって答えは変わるものなのでしょう。
分かり合うとは、決して同じ方向にベクトルを揃えることではないのだ…と、そんなことを思うのです。
今回はフリーレンの Autism(自閉) 資質について触れることはありませんでしたが、自閉を巡る社会的構造は、自閉とは関係ないところにも似た構造をしているものが数多くあるのだ…と言うのは間違いなさそうです。
あなたが、私が、その相似形の想像ができることが、自閉(文化) の理解を大きく進めることになるのだろう…と、私は思うのです。