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Episode 765 視点の固定があるのです。

私はこの正月に、長年勤めていた「食品メーカー」を離れて「運輸・倉庫業」にカテゴライズされるグループ内企業に「転籍」したのですが、20年以上在籍した「メーカー」という業種で身に着けた思考方法が簡単に抜けるか…と問えば「否」なワケでして、思考の基本として身体に染み込んでいるのだと思います。
前回から取り組んでいる、「日本社会はオーティスティックに親和的」という指摘の解析作業に選んだ「なぜなぜ分析」という手法にも、もの作り系企業のカイゼンを齧ったことがある人のオーラが立ち込めるのだろう…などと思っています。

前回の記事「そこが相似に見えるのです。」で「日本社会はオーティスティックに親和的」という「なぜなぜ」の振り出しに選んだのは、「Allistic(非自閉の民):Autistic(自閉の民)」の関係性が「世界:日本」の関係性と相似形である…でした。
そのうち、前回の記事でお話しできたのは、その「相似形があるよね…と仮定する」くらいの部分までで、今ひとつ現実的なイメージが湧きませんでした。
今回は、その相似形の具体的なイメージを膨らませることが目的です。

そもそもにおいて、「日本社会はオーティスティックに親和的」を提唱しているのはレイ(@wagonthe3rd)さんでして、私も概ね同じ意見である「その思考仮説」の解体をしてみよう…が企画の目的ですからね、今回もまたレイさんのポストの引用です。

このポストが云わんとするところは、グローバル (≒大陸的) な視点からの思考と、和風 (≒島国的) な視点からの思考との「原点(ベース)」が異なることによって、考え方や目の付け所が違うこと、その結果として導き出されれるそれぞれの文化におけるスタンダードが異なること…だと私は思っています。
しかも、これは単純に「文化の差」という言葉で片付けて良いほど簡単なモノではないだろう…と。

では、単純な「文化の差」というのは何か…と問えば、江戸落語と上方落語の差くらいのものでしょうか。
話し方や小道具に違いがあるけれど、思考のベースは同じ部分にあるから、クスっと笑う仕掛けに大きな差はありません…多分。
あとは噺家の力量、どれほど人を惹き付けて笑わせるか、でしょう。

はてさて、では…この落語と同じ文化を根に持つ話芸の類が、海外にはあまり見当たらないようで。

多くの日本人は、和風文化が欧米圏(又は中華圏など)の文化とは異質で独特だということを知っているのだと思います。
そしてその異質で独特であることが、マイノリティ文化としての "Cool" を作り上げていることもね。

note記事「そこが相似に見えるのです。」より

前回の記事でも指摘したのですが、和風文化が欧米圏(又は中華圏など)の文化とは「単純な文化の差」を超えた次元において異質で独特だということを、多くの日本人は知っているのですよ。
でも落語のような日本の文化が、海外の文化がネイティブである方々から見て「どのように "Cool" なのか」という説明を出来る人が、どのくらい存在するのでしょうね?
因みに、私も説明できませんし…ね。

改めて、このポストを。

ここでは分かりやすく「落語」などの芸能を題材にハナシを進めましたが、ここでのキーポイントは恐らく、それぞれの「文化」を可能な限りネイティブな感覚で理解できるか…です。

グローバル (≒大陸的) な視点からの文化と、和風 (≒島国的) な視点からの文化が拠り所にしている「思考の原点」の差を理解できないまま、それぞれの文化を見ようとすれば、自分自身の視点は自ずと「自分が所属するコミュニティの思考」で異文化を覗こうとすることになるワケです。
グローバル (≒大陸的) な視点から和風文化を覗いて "Cool" に見えるのは、こういうことなのだろう…と。
グローバル視点がネイティブであれば、その視点から自国や和風の文化を見ることになるし、和風視点がネイティブであれば、とうぜんその逆になるワケね。

この時に発生するのが、世界的に見てマジョリティな発想を持つのはグローバル側で、マイノリティ側に日本が来る…という数的優位を背景にしたパワーバランスの問題です。
…おやおや、どこかで見たことがある構図ではありませんか?

マジョリティたる Allistic(非自閉の民) が、マイノリティである Autistic(自閉の民) を Allistic の視点/感覚で見ようとすれば、理解に苦しむポイントが発生するし、その逆も然り。

「Allistic(非自閉の民):Autistic(自閉の民)」の関係性が「世界:日本」の関係性と相似形である…とは、

①異なる文化の「核心部分の真意理解」が不足していること。
②数的優位を背景としたパワーバランスの影響があること。
③マイノリティはマジョリティに有利な社会での適応を迫られる立場であること。

…ということなのだろうと、私は思います。

さて次回は、大陸的視点と島国的視点…というから「なせなせ分析」を更に進めてみようと思います。

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