Episode 441 空の箱だと気づくのです。
6月といって思いつくものを思い浮かべると、雨・傘・長靴・アジサイ・カタツムリ…ってあたりでしょうかね。
幼稚園や保育園の出席簿って、ご褒美みたいにシールを貼っていくタイプがメインなのは今も一緒なんでしょうかね、そこに描かれている図柄はこんな感じかなぁ…と思うくらい、6月の図柄はジメジメ・シトシトと鉄板の雨模様…。
さてさて、今回の「オトギバナシ」はそんな梅雨時の白鳥の姿です。
シベリアに旅立たなかった白鳥は、田んぼに入る「イタズラ」をして怒られる…みたいなことをしながらも、何とか初めて経験する「夏場の日本」で生活しようと試みます。
それこそが単純に失敗を禁止事項として認識する「ブラックボックス」という発想なのですが、これはあくまでも「白鳥としてだから許される話」なのだと私は思っています。
私は「子ども時代に反抗期がない、育てやすい良い子だった」といういう話を聞く度に、「それは男の子として育てたからだ」と思うのです。
だって、私はこの手の話を女性ASDの口(またはその家族など)からまず聞かないですもの。
残念ながら、本人の性認識がどうであれ、外から見える身体的特徴で性別認識されるのが現代までの社会的常識です。
本人の意識とは別に、確実に男女別のスタンダードが用意される…それは先日お話しした「男の子でしょ!」と「女の子でしょ!」の話に集約できます。
競争して勝つことを社会的に要求される男の子の世界であればこそ、「言葉=指示」と受取り、理由を無視して禁止事項を忠実に守るブラックボックスが生きてくるワケです。
仮に女の子が男の子と同じことをして、全てに於いての反応が同じように返ってくるのか…と言えば、恐らく No でしょう。
例えば…泥んこ遊びをしていて、服まで泥んこにして帰ってきて、親の反応が「服まで汚してマッタクもう!」だったとして、男の子は服を汚したことに対しての「マッタク!」だけなのに対して、女の子はその上に「オテンバはアカン!」が乗ってくる…そんな話です。
その「マッタク!」を聞いたツバメも白鳥も、「服を汚してはいけない」を具体的な指示として理解します。
ただ…違うのは指示を出した側の評価です。
服を汚さないことはツバメの「たしなみ」であって、出来て当然の社会性なのに、一方の白鳥は「ワンパク」という競争性に基づく逸脱を容認する基準が、ツバメに要求される「たしなみ」の一定量を相殺してしまう…。
故に指示に対して忠実であるだけで「聞き分けのいい良い子」になるのだと私は思うのです。
そして「聞き分けのいい良い子」には、アタマが良い子が多いのだと私は思うのです。
だって、理由が不明のブラックボックスであっても、物理的な禁止事項として暗記できるワケですからね、同じ失敗は繰り返さないのですよ。
学習面の「みなし出来る」が「ブラックボックス」の不自然な部分を何となくカバーする構図が「スルー」という現象になって現れるワケです。
年齢を重ねるに従って白鳥を取り巻く社会は大きく複雑になっていく…。
それに伴って「ブラックボックス」として格納する禁止事項や約束ごとは増えて行き、それを使いこなせる物理的な量が多い程にスズメの網に掛からないワケです。
網に掛かる危険は白鳥が慎重に回避する…つまり、出来ないことには手を出さない、出来ることに集中する、出来ることが「みなし出来る」として全体の評価を押し上げるというサイクルが出来上がるのです。
スズメの子であれば、「ワンパク」を競い合う中で「オレとアイツ」を見出していくハズです…すなわちこれが「サリーアン課題」に代表される心の理論の獲得です。
一方の白鳥は「イタズラ」を働いて怒られたことを「ブラックボックス」という禁止事項として自己規制するワケでして、そこには競い合いが発生しないことになる…。
白鳥が網に掛かるタイミングとは、個々の白鳥が抱えられる「ブラックボックス」が物理的な許容量を越えて、オーバーフローし始めた時だと私は思っています。
不自然さが目に付きだすと「みなし出来る」のサイクルが止まり、出来ることの棚卸しが始まるワケです。
こうなると…もう、出来るハズだと思われていた「できないこと」が、ビックリするくらい出てくる出てくる…。
初めて経験する梅雨空の下で、白鳥はスズメの世界で生活する方法を模索します。
その方法は張られた網に掛からないようにするための「ブラックボックス」という入口と出口の短絡…。
それがスズメのコミュニティで、本当は意味がない「空の箱」だと気が付くのは、残念なことに網に掛かった後の話なのだと…私は経験上、そう思うのです。