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Episode 546 スタート地点の確認です。
自分自身の発達障害を「診断」される過程で、多くの人は何らかの「心理検査」を受けたことがあると思います。
そういう私もそのひとりでして、過去に2度「心理検査」を受けたことがあるのです。
私の場合、2回とも同じ結果が出たワケでして、結果的にセカンドオピニオンとして「間違いございません」と太鼓判を押されることになったワケです。
このWAISに代表される「心理検査」の結果で盛り上がる…なんてことがTwitter上には良くあることでして、人それぞれの特性で「ああでもない、こうでもない」と議論が交わされていたりするのですよ。
ところで…人それぞれの検査結果を基に「診断」が下された結果、ASDと診断された途端に、ASDという診断名で一括りにしてしまう傾向って…何なのでしょうかね。
私自身の心理検査の結果を隠すつもりはありません。
上のリンクから過去記事に飛んでいただけば、その内容を見ることができます。
注意すべきは、この結果は「私の検査結果」でして、ASDを代表するものではないということです。
WAISに見える発達障害者の特徴として、「群指数のバラツキ」を指摘されるケースが多くて、それが所謂「発達凸凹」と表現される「出来ることと出来ないことの差」が大きい…という事象になるなどが有名です。
私の場合は動作性IQの方が高く、動作性・言語性を問わず、情報をインプットする入力側が弱く、それに反応(アウトプット)する出力側に強い傾向があるという数字が出ているのです。
これが「私の特性」です。
ところで、世の中のASDと診断された皆さんは、私と同じ結果が出たのでしょうかね…?
もちろん「No」ですよね。
問題の所在はここです。
ここ最近の記事で、私は「ライフハック」や「合理的配慮」について、私が思うところを書いてきました。
そして、そのどちらについても「ASDだから」はベースにならないのです。
一般論としてのASDの特徴はあると思います。
でもそれは「多くのASD者に見られる」であって、「必ずあらわれる」ではありません。
まぁ、なんだ。
— Ho+(HOTAS) (@HOTAS10001) June 14, 2021
文章を書くってのは、私にとっての「発達障害ライフハック」なのだよ。これをすることで「定型が主体の社会」との繋がり方を模索する…ってハナシだな。
「そんなの万人向きじゃない」って思ったあなた、それが正解。
万人向きじゃないことこそが、ライフハックの本質だからな。
私がこうして文章を編むのは、私のやり方なのです。
言語表現が苦手な方に、この方法はお勧めしません。
「ライフハック」にしても「合理的配慮」にしても、その基準になるのは私自身で、その中身は「如何に私自身が社会的に適合していくのか」ということです。
私の立ち位置を知る。
それは「ライフハック」や「合理的配慮」のスタート地点なのです。
スタートがぼやけていては、「ライフハック」や「合理的配慮」の方向性が正しいのかもわかりませんよね。
社会に何かを要求することを否定する気はありません。
でも、その前にすべきことは、私の立ち位置の把握だと私は思うのです。
立ち位置を把握することで、初めて社会に要求したことが効果を発揮するのだと思うのです。