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Episode 798 保守の地盤が必要です。
今回は、文芸評論家・福田恆存氏の言葉から。
私の生き方ないし考へ方の根本は保守的であるが、自分を保守主義者とは考へない。
革新派が改革主義を掲げるやうには、保守派は保守主義を奉じるべきではないと思ふからだ。
私の言ひたいことはそれに尽きる。
(中略)
さういふ本質論によつて私は日本の保守党の無方策を弁護しようといふのではない。
むしろ逆なのである。
保守的な態度といふものはあつても、保守主義などといふものはありえないことを言ひたいのだ。
保守派はその態度によつて人を納得させるべきであつて、イデオロギーによつて承服させるべきではないし、またそんなことは出来ぬはずである。
おそらく革新派の攻勢にたいするあがきであらうが、最近、理論的にそれに対抗し、保守主義を知識階級のなかに位置づけようとする動きが見られる。
だが、保守派が保守主義をふりかざし、それを大義名分化したとき、それは反動になる。
大義名分は改革主義のものだ。
もしそれが無ければ、保守派があるいは保守党が危殆に瀕するといふのならば、それは彼等が大義名分によつて隠さなければならぬ何かをもちはじめたといふことではないか。
保守派は無智といはれようと、頑迷といはれようと、まづ素直で正直であればよい。
知識階級の人気をとらうなどといふ知的虚栄心などは棄てるべきだ。
常識に随ひ、素手で行つて、それで倒れたなら、そのときは万事を革新派にゆづればよいではないか。
私は「障害者」という立場にいて、その立場の弱さから、現状の改革を求めるリベラル/改革派に近い立ち位置にいる…と思っています。
ただ…50歳代という括りも半ばになって、「政治家でもない私にできることは何か」と考えた時に思うのは、次世代に繋がる「地ならし」が残された仕事…とか思うようになってきたのですよ。
定年まで、あと5年ちょっと。
もちろん、現状を考えれば「その後は悠々自適の隠居生活」なんてムリでして、頭と体の動く内は仕事を続けなければ、生きてはいけないでしょうけれど。
自分の生活を振り返り、結婚して子どもを育てている内は「自分たちの生活がどのように上手く行くのか」が最大のテーマだったように思います。
時は流れ、子どもたちは成人して独立に向かい (成人しても大学生だったり…という意味でね) 気が付けはこの歳…になった時に、「私に何が伝えられるのか」を考える歳になった、ということでしょう。
私の生活が蔑ろで良い…とは言いませんが、私の生活は現状維持で良いから、私に掛けるための (社会的) プラスオンの余裕があるのならば、それはどうか「若い世代」に使ってほしいのです。
冒頭に触れた福田恆存氏の言葉は、「保守的態度」とは現実的世界を基盤として生活することを由としているという意味であり、伝統的な社会の維持などのイデオロギーを掲げることに異を唱え、疑問を投げかけるもの…と、私は理解しています。
これは後日、note記事にして書くつもりですが、福田恆存氏が言う保守と対になるリベラルが存在しない点こそが「リベラルのロールモデル」不在の原因なのでしょう。
— ɦσ+(ɦσƭαร) (@HOTAS10001) December 11, 2024
そもそも、ロールモデルという発想自体がレベラルではない…ではないか? https://t.co/kICxyYvDbR
私は、福田恆存氏が言う「大義名分/イデオロギー」は改革主義のもの…の、裏側にあるモノこそが「ロールモデル」だと感じているのです。
ちょっと離れた話になりますけど、なぜ世界的にリベラルの旗手ともてはやされたオバマ元大統領やアーダーン元首相が、継承されるロールモデルたり得ず、むしろ真逆の反動的なある種全否定的政治潮流を生んでしまったのかと考えるんですね。
— レイ@毎日がロードムービー (@wagonthe3rd) December 10, 2024
まあ日本にも「白河の清きに…」#ニューロダイバーシティ https://t.co/DoHoRILYZ8
ロールモデルとは「考え方や行動が他者の手本となる人物を指す」ワケですが、それはつまり現実主義として手本となる…であり、ロールモデルを求める時点で「保守の地盤に立っている」ように、私には見えるのです。
誤解を恐れずに言えば、リベラルに必要なのは「改革に対しての大義名分」で、それを実現するためには、指導する人物のカリスマ性というエンジンが必要になる…です。
つまり、「ロールモデルとしての踏襲は、カリスマ性というリベラルを引っ張るエンジンたり得ない」…と、私は思うと言うことです。
どちらかと言えば、リベラルの問題というより、私自身の変化なのでしょう。
— ɦσ+(ɦσƭαร) (@HOTAS10001) December 15, 2024
中道左派と保守穏健派の良いところ取り目指す…かな。
歳を取り、自分たちの世代よりも下の世代の生きやすさを重視するようになった、結果として場を作るのは次世代に任せて、兵站としての役割に徹する方向です。
私の立ち位置は改革を求める左派の位置にある…は、恐らく変わりません。
ただ、私自身が改革の旗手としてイデオロギーを礎にするには、カリスマ性というエンジンの出力不足は否めません。
ですから、「改革の旗手」として今後活動される方々の足場を作る兵站(ロジスティックス) を考えるのです。
結果として私の発言や行動は、リベラルを掲げる方々の言葉にブレーキをかけることにも繋がるのでしょう。
池井戸潤氏の小説「陸王」のTVドラマ版では、老舗足袋製造会社「こはぜ屋」の社長、役所広司が演じる宮沢紘一の、社運を掛けたランニングシューズ「陸王」生産プロジェクトに終始ブレーキをかける発言をする経理担当の専務取締役、志賀廣太郎が演じる富島玄三というキャラクターが登場します。
リベラルをリベラルとして存在させるには、改革を掲げる人物の新鮮さと、その旗手を支える地盤を作る、保守の相棒が必要…と。
私は「(ニューロ) ダイバーシティ」の観点から、新たな仕組み、枠組みが必要だという改革派/リベラル派の人間です。
そのリベラルを支えるために、「リベラルの中に保守を持ち込む」を選んだのです。
改革を求めるだけがリベラルではない…などと思うようになったのは、きっと歳のせいだと思いますが、それは強ち間違いではないように思うのですよ。
年末のご挨拶。
今年も「オッサン」の言葉に付き合ってくださった方々に感謝します。
私の言葉が、誰かの未来を明るくできる事を信じて。
皆さま、良いお年をお迎えくださいませ。