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Episode 794 「知りたい」だけでは続きません。
早いもので、今年も師走です。
毎月1回の不定期連載を続けている「Autistic(自閉の民) 的に『葬送のフリーレン』を考察する」企画も順調に回を重ね、11回目を迎えました。
毎回、単行本の一冊をピックアップしているこの企画、11回目の今回は、もちろん単行本第11巻からの考察です。
第11巻のザックリとした内容を言えば、北部高原の城塞都市・ヴァイゼを「黄金」に変えてしまった七崩賢の魔族「黄金郷のマハト」との戦闘とその終結、北部高原の北の端・キーノ峠で帝国領への入国審査待ちの間、峠近くにある「女神の石碑」を目指すフリーレン一行…とまあ、ザックリそんな感じかな。
毎回同じことを書いて恐縮なのですが、私はこの「考察」で、ネタバレを望みません。
興味のある方は、ぜひ本を購入して読んでみて欲しい…と、思っているのです。
さて…。
単行本11巻…今回のトピックは、こちら。
確かにそうだ。
マハト。
お前は共存を望んでいる時点で他の魔族達(ばけもの)とは違う。
その一点においては敬意を表そう。
私の知る限り、人類にこれほど歩み寄った魔族はお前で二人目だ。
そして、だからこそわかり合えない。
お前が共存を望めば望むほど、お前の手で多くの人が殺される。
フリーレンの口から放たれた言葉は、根本的に異なる者同士は、必ずしも分かり合うことができるとは限らない…と言うことです。
魔王はお前と同じく共存を願っていた。
そして人類の勢力圏が全盛期の三分の一になるほど多くの国と民族を滅ぼした。
マハト。
お前の願いの行きつく先は人類の滅亡だ。
そうなるまで待ってやれるほど人類はお人好しじゃない。
前回の記事で私は、魔族には「普通」に人間が持ち得る (標準搭載される) “悪意”や”罪悪感”という感情がなく、ゆえに人間的に「悪である」ということの理解が難しい…と指摘しました。
その抜け落ちた感覚による弊害こそが、人間からみて「障害」なのだ…と。
その点については、Autistic(自閉の民) × Allistic(非自閉の民) の関係性でも同じことが言えて、ですから多数派であるAllistic が感じる「不具合」が「障害」と表現されるワケです。
だから、その「不具合」を解消するために、知ろうとすることが大切になる…と言うことです。
ところが、ところがですよ。
そのマハトが知りたい“悪意”や”罪悪感”という感情が、マハトには無いがゆえに、マハトは「悪意なく」人を殺めてしまうワケです。
つまり、マハトが「知りたい」を理解する過程で、多くの人が犠牲になって来たし、これからも犠牲者が出る可能性は否定できない…と。
フリーレンは、そのマハトの好奇心のために、これ以上の人の命を献上できない…という意味で、先ほどの言葉を言い放つワケです。
1年ほど前のnote記事「理屈で説明できません。」でも指摘したのですが、相手にどんなに正当な理由があろうとも、私が不利益や被害を被れば、あなたに対して憤りや怒りを覚えるのは、人間の感情として当然のことです。
人間×魔族では、人間界では禁忌とされる殺人に至ってしまうとなれば、付き合っていられません。
正しく私を知り、あなたを知る…ということが大事なのは、ことが起きてからだと「理屈じゃない嫌悪感」があなたと私の間に立ちはだかるから…というのは、私の考えの柱になる部分なんだよね…とか思うのですよ。
— ɦσ+(ɦσƭαร) (@HOTAS10001) May 1, 2023
だからね、「人間と魔族は分かり合えない」という結論になる…。
コレを Autistic × Allistic の関係性に置き換えた時、学べることは何か?
マジョリティたる Allistic と、私たち Autistic が分かり合うために必要なことは、Allistic の容認が「(個人が)耐えられ範囲」なのか…と言うことでしょうか。
Autistic が Allistic の予想とは違う行動を取った時、「それは何故か」をお互いの視点から確認して納得し、お互いに納得できるのか…。
そして、その逆も然り。
その納得できる範囲を如何に広げていくのか。
納得できる範囲は、時代背景や個人の理解度によって大きく異なることでしょう。
全体的な理解度の進捗と、個人毎の理解度の進捗も、当然違うでしょう。
だから、Aという環境では容認されたことでも、Bという環境では通らないこともある…と。
何れにしても、容認する側のキャパシティを超えてしまい、オーバーフローしてしまうことが増えれば、容認度というダムは決壊してしまいかねないし、決壊してしまえばフリーレンが「知りたいと思うマハトのような魔族」を見限って決別を選ぶ…みたいな結果にも繋がってしまうかもしれません。
異質/異文化の対話…と言うものは、お互いに「分かろう」とする姿勢が大切なのは言うまでもありません。
そしてこの対話を長続きさせる方法こそが、容認できる範囲以上に交わらず、容認できる範囲を広めて行くと言うことなのだろう…と。
お互いに(またはどちらかが) 不利益/被害を被る関係が長続きするワケはないのですよ。
「分かろう」とする気持ちを尊重しつつも、その範囲と距離感は適切に保たないと危険…と、そんなことを思うのです。
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