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Episode 691 外野から見て思うのです。
今更ながら、私の略歴を紹介します。
1970年に、サラリーマンとその妻という「標準的な核家族家庭」の第二子(長男ではある)として生まれ、父親の転勤で宮城県に住むことになった小学生時代の3年間を除き、高校卒業までを埼玉県で過ごします。
その後、東北某県の国立大学教育学部に進学、教員免許(中高社会科)を取得しながらも教師の道を選ばず、量販系のチェーンストアに就職します。
父親が定年退職し、郷里に「終の住処」を建てたことをキッカケにして、長男であることを理由に転職を決意、両親の郷里に本社を構える中堅食品メーカーに移ったのが1999年のこと…それからその会社に籍を置くこと二十数年、現在に至ります。
この間の詳しいことは、このアカウントで幾つもの記事になっているので、これ以上触れませんが…。
(ご覧になりたい方は「索引 (index) #2」から、私の自伝的エピソードを書いたそれぞれの記事にアクセスできますので、そちらをご利用ください。)
それで私は、何が言いたかったのか…と言うと、私は生まれ持ったASD特質を「ASDである」とハッキリ診断された40歳代の前にも後にも、「(発達) 障害者とかかわる具体的な仕事」に就いたことがないのです…言わばシロウトだということ。
当然のことですが、それ故に自分の興味が向かう方向以外に障害や福祉について学んだことはなく、特別の資格もなく、今の (職場) 環境も障害や福祉とは無縁なのですよ。
そんな環境にいるASDの私は、実はコレが私の強みなのかもしれない…などと思うことがあってですね。
例えば「合理的配慮」とか。
QC手法を用いてPDCAサイクルを回す「トヨタ式カイゼン」と「合理的配慮」は基本的に同質のモノだよね…なんて、生産現場での「カイゼン」を経験したからこその発想だと思うワケでして。
その一方で「争いごとが作りだす憎悪」を、歴史学的な視点とアニメーションの物語から読み解く…なんてこともやりました。
コレをね、「内側にいる方」はやりにくいのだと思うのですよ。
現場での療育に尽力されている方や、医学/心理学的に (発達) 障害の研究をされている方なら、どんな根拠に基づいてその説明(または行為/治療など)をするのか…は、大切な要素のハズです。
私は当事者ですけれど「外野」ですからね、その辺りに何の柵もないワケでして、極端なハナシ「誰かに忖度して言えない意見がある」なんてこともないのですよ…実際にあるかどうかは知らんのですけれど。
まぁ、なんだ。
— ዘዐ+(ዘዐፕልነ) (@HOTAS10001) July 7, 2023
私はASDの一当事者でしかないからねぇ…特別な資格もないし、フォークリフトのオペレーターという仕事がASD理解に直接つながるワケでもない。
一番遠いところから見ているから、できることも限られている。
だからこそ、自分ができることをするのだけどね。
さてさて、私の勤める「メーカー」って業種は、ウチのような食品製造に限らずどんなメーカーでも、各種「その筋のプロ」がごった煮で勤めているのですよね。
我が社(…と言っても私が経営しているワケではないけれど)の場合を例に上げれば…
①製造部門…まぁ、メーカーですから当然
②営業部門…コレもないと売れない
③購買部門…原料や備品の仕入れ
④管理部門…総務・経理・人事
この辺りまでは大体想像が付くとして、そのほかに…
⑤開発部門…新商品の企画開発
⑥品管部門…商品衛生管理の徹底
⑦業務部門…商品の受注と請求業務
⑧物流部門…商品保管とピッキング/出荷
⑨工務部門…社内設備/製造機器の整備点検
⑩情報部門…社内IT関連全般
まだまだあるけれど、とりあえずこのくらいにして…。
会社内の部署間でも「畑違い」は数多くあって、「メーカー」という業種はその幅が商社や金融などよりも格段に広いのだと思うのです。
その「畑違い」の人が人事異動で他部署に配転された時によく言われる言葉として、「気づいたことは何でも言ってくれ」…ってのがありましてね。
これは内側にいると「慣れ」によるマンネリなどで、良い部分にも悪い部分にも鈍感になってしまう現象に「新しい風」を入れようとする方法なのですよね。
この結果として「新参者」の意見が通ることは…まぁ現実的には多くはないのですが、全くないワケでもなかったと思います。
少なくとも「畑違い」の方から「あぁ、なるほど!」と思う、角度の違う意見を、私も聞いたことはありました。
そして思うのですよ。
この部署間シャッフルによる「新しい風」って、一種の「ダイバーシティ」なのだろう…と。
こう考えた時に、多様性がもたらす生産性の向上が見えてくる…ではないか?
ASDの私は、私ひとりの環境でブツブツとひとりごとのように何かを書いて、寄り添わないことで独特な視点を維持してきたのかもしれません。
専門的な知識を身に付けて「中の人」になっていたら、「企業活動の何がダイバーシティなのか」とか考えなかったことでしょうし、それと関連付けて「ニューロダイバーシティ」をイメージすることもなかったでしょうし。
企業の中で仕事をしていて「ダイバーシティとは何か?」と問われたら「視点の拡大による認識のバージョンアップ」と、私は答えるでしょう。
生産性の向上と収益の拡大は、その結果として生まれるもの。
恐らく、「ニューロダイバーシティ」も同じです。
「視点の拡大がもたらす認識のバージョンアップ」によって、世の中の常識は変化する…であれば、療育/教育も医療/福祉も全てを網羅することになるワケでして。
まぁ…これも、「外野」だから言える意見なのかもしれませんけど。