Episode 525 WSが牙を剥くのです。
「ジョブチューン」というバラエティ番組があります。
仕事系のイロイロを扱うようですが、最近はコンビニやチェーン展開する飲食店の看板メニューが「値段相応なのか」をプロの料理人がジャッジする「食」に関するモノが多いようです。
私たち庶民がどこにでも手に入る距離にあると思われるくらい身近な「あの店のあの商品」が、プロにどのように映っているかは、大きな関心事…。
それがテレビのゴールデンタイムで毎週企画されるくらい、人間にとって「食べる」ということは重要なことなのでことなのですよね。
このバラエティ番組は「味と値段」のバランスという切り口で番組を作っているワケで、それを否定する気はありません。
でも、コンビニ/スーパーの惣菜のように「出来上がった製品を買って帰る」ものと、レストランや居酒屋のように「注文したその場で食べる」ものでは、同じように「食」を扱っていても内容が異なるのだ…と、私は思っています。
コンビニ/スーパーの惣菜が「工場での大量生産」で実現される「安定した味」を競うのに対して、飲食店は「その場でオーダー」された「作りたての味」を競うワケです。
飲食店の場合、本来なら店の雰囲気やら、なんやかんや…つまりは食べる環境も含めるべきなのでしょうが、番組を作るに当たって、その全てを考慮していたら収拾がつかなくなるでしょうから、最も大事な「味」に見合う「価格」なのか…という点に集中するのは当然でしょうね。
そしてここで注目すべきは、最低限「待たされた」という感情が入り込まないことかと思います。
人にはそれぞれの生活パタンがあり、早起きの方もいれば、朝ゆっくりの方もいるのは間違いありません…が、モーニングにランチ、それとディナーと呼ばれる食事の時間帯を指す言葉があるように、多くの人は「食べる」時間帯が共通で、その時間帯に飲食店の仕事が集中するのは業界の特性上、避けて通れないのです。
そして集中する時間帯こそ売上を上げる勝負どころ、ここでどのくらい稼げるか…は飲食店にとって「死活問題」なワケです。
その勝負の時間帯に、収益を効果的に上げる具体的に方法として、「ワークスケジュール(以下WSと略します)」と呼ばれる稼働計画表を導入している店が多いのです。
飲食店でいうところのWSとは、過去の同じ時期や同じ曜日の傾向から時間別の売上と客数を予測して、お客様をお待たせすることなく席に導き料理を提供することで、確実に売上をあげるための計画表です。
ネットでググれば相当数のサイトがヒットするので、概要を掴むのは容易いかと思います。
冒頭で触れた「ジョブチューン」で言えば、そのお店に入って「さっ」と席に案内され、注文した看板メニューが「すっ」とテーブルに置かれることが大前提…ってことです。
コンビニ/スーパーの陳列棚に置かれた商品は、工場にある機械の稼働速度以上には生産できず、それは既にある程度「安定して生産できる体制」を整えてから商品化されるワケです。
何しろ私は食品メーカーの社員ですからね、「工場が安定稼働できない商品を生産することはできない」…と、知っているのですよ。
ところが飲食店はそうではないのです。
混み合う時間帯が決まっているワケですから、工場のように安定して同じスピードで料理を作る…なんてムリなのです。
忙しい時間にお客様を待たせない為には、どのくらいの作業を何人のスタッフで行うのか、それを準備するのにどのくらいの作業と時間が必要なのか、その後片付けはどうするのか…など、時間帯で変動する作業量に応じて稼働計画を立てる必要がある…と、いうことです。
ここで重要なのは、WSは「お店が安定してお客様に料理を提供できる体制を整えるためのツール」であって、「ムダを削減するためのツール」ではない…という認識を明確に持てるか、です。
必要な投資を計画的にすることが目的のハズが、収益を上げるためにムダを省くツールとして使われ始めると、目的と結果が逆転してしまうワケです。
これは先日お話しした「プライスレス」の話と共通なのです。
このふたつの話に共通の根が、日本の「(軍隊式)教育体制の限界」だと私は思っているのです。
ただ、軍隊式教育体制を採らざるを得なかった理由は明確に存在します。
その理由についてはリンクから過去記事にジャンプしていただくとして、結果として「軍隊的統率」を基本とする教育を受けた私たちが、横並び一列で一糸乱れない隊列が組めることを「標準」と捉えてしまう傾向が強くなるのは必然だったと、私は思うのです。
落ちこぼれに厳しく、出る杭は打たれる…それは「個人技」も「お荷物」も、隊の統率を乱す命取りになりかねない軍隊的な思考で説明できるところです。
横並び一列の隊列が標準、それが出来て一人前であった場合、WSで表現される「一人前ひとり分」の作業が、労働者に牙を剥く可能性は否定できません。
「できない人」に不満の矛先が向かうのは、出来る人が結果的に尻拭いをさせられるからです。
発達障害者に限らず、定型の方も対人関係がストレスになってウツなどの精神的問題を抱える方が多いのは、「自己表現を抑圧する教育」と「それを良しとする社会構造」に原因があるのだろうと感じます。
一人前の範囲が狭いことで発生する問題は、発達障害者やカサンドラの問題に限らず、多くの精神的なトラブルに現れているのだと、私は思うのです。