Episode 795 正義を背負ってはダメなのです。
前回の「フリーレン考察」を挟んだもうひとつ前の記事で「自助会 (Self Help Group) の責任範囲は限定される必要がある」という、私の考えを書きました。
この規約に基づく「自助会の運営」という経験が、私の考え方に大きな役割をもたらした…というのが今回のハナシです。
先月の記事でも話題にした通り、私は横道誠(@macoto_y) 先生が執筆した書籍 ー「心のない人」は、どうやって人の心を理解しているかー に登場するインタビュイーのひとりとして登場します。
その本のタイトルの、自閉スペクトラム症の人を指す「心のない人」という表現に批判が集まっているのを、私は 𝕏 上で多く確認したのです。
私のポストが引用している はるまき(@41harukaze) さんを批判する気はなく、いつもお世話になっている方とのやり取りとして、ここから話題をスタートしただけのこと…というのは書き加えておきます、念のため。
ただ、はるまきさんの指摘の核心は…
…ということであり、ここに多くの Autistic(自閉の民) 当事者が引っ掛かりを感じている…ということは、いいねの数や、その他の方のポストから明らかなのだと思います。
そう言う私も埋め込んだポストに書いた通り、「初めはギョッとした」ワケでして。
私は、私のことが書かれている本がこのような話題で批判されていることを残念に思っています。
だって、私のことが書かれている本ですからね、批判されて「気持ち良い」ワケはないでしょう?
ただ…だからと言って、批判に関して反論する気はないのですよ。
はるまきさんをはじめとした多くの方が「不快だ/不愉快だ」とか、「残念だ/悲しい」と思ったのは事実なのでしょうから。
そのあなたの考え方や意見に、「いいや、それは違う」と言わんばかりに自分の意見を被せれば、それこそ泥仕合に発展しかねません。
以前の私であれば、その泥仕合に向かって一直線だったと思うのですよ。
その自分を変えるキッカケになったのが、自助会の運営だった…と。
「『範囲の限定』は重要です。」でも指摘した通り、自助会というのは任意の団体であって、支援組織でも公的機関でもないのです。
ですから、誰かを「救ってあげよう」とか「支援してあげよう」という行為は、自助会の範囲ではない…と、ハッキリとキッパリと明記して、「手出ししない」としたワケです。
そしてこれが、自助会の安定運営に繋がった…というのは、記事でお話しした通りでして。
要するにですね、私は自助会で「私の上手くいったやり方」を誰かに強制しない…ということを学んだのです。
もちろん、上手くいったやり方をお話しすることはあります。
でも、それを実行するもしないも、聞いていたあなたが決めること…そこを強制しないことが、とても重要だと気が付いたのです。
この部分を踏み越えてしまうと、「あなたが言ったとおりにやったのに」とか、「ここまでしてあげたのに」とかが複雑に絡んで、大きなトラブルになるのでしょう。
そしてこれは、恐らく自助会の運営に限ったハナシではないのでしょう。
今回の「心のない人」という表現を巡る意見交換も、あなたの意見を尊重し、私の意見の範囲を限定して、見比べてみるということが重要なのだろう…と。
このポストは以下のように続きます。
対話を対話として成立させ、泥仕合になることを防ぐには、私の主張は私が思うことであって、世間や世界を代表するものではない…という一線を超えない点に留意する必要がある…ということなのでしょう。
当然、これは片側だけの努力で成立するワケはなく、相対するあなたも同じように、相手の意見を尊重し、私の意見の範囲を限定して対話に臨む必要があるワケです。
私は自助会の運営から、「対話とは」というものを考える機会を頂いたのです。
それは、私の大きな宝物であると言って良い、価値のあるものだった…と思っているのです。