Episode 524 ジェネリックな日本です。
薬剤師のハナシが続いたので、その流れで薬の話をしましょうか。
最近の話題といえば、COVID-19…新型コロナウイルスのワクチンでしょうかね。
各国の製薬会社が、それぞれの政府などから最高レベルの優遇を受けながら新薬開発を行い、その甲斐あって各国でワクチンの接種が始まった…と言うのが、皆さんの知る直近の出来事だと思います。
新薬の開発というのは「人の命を扱う」という倫理的な部分にも関わる非常に難しい問題を含んでいるワケです。
だから、今回のような世界的な大流行で新薬開発への期待が高まっているから…と言っても、工程を「巻く(急ぐ)」ことはあっても「端折る」ことがあってはならないし、できないのしょう。
もちろん「緊急時」の対応ですから、治験の期間や人数なども限られてくる事はあるでしょうが、それはあくまでも「巻く」の中でのハナシであるハズだ…と、私は思っています。
さて、先日からずっと私の記事の中に登場してくれているTVドラマ「アンサングシンデレラ」の中にも新薬開発に関係する治験の話が出てきます。
この話はドラマの核心部分に触れる内容なので詳しくはお話ししませんが、ひとつの薬を開発するのには、多くの人の様々な努力があるワケで、その開発にかかる費用が莫大なものになるのは当然なのだろう…と思うのです。
もちろんドラマの中でも、そうした「多くの人の様々な努力」が存分に描かれているのですよ。
その一方で、「ジェネリック医薬品」と呼ばれる、安価な薬も存在するのです。
Wikipedia の解説通り、莫大な資金が必要な新薬開発者の保護を目的とした特許期間が過ぎた薬については、他の医薬品製造メーカーが先行薬と同じ効果を持つものを作ることができるワケでして、つまり…先行薬のメーカーとしては保護された独占販売期間に、開発費用を含む利益を確保することを求められる、ということです。
ジェネリック医薬品は「飲みやすくする」などの改良はあるにせよ、新薬の開発費用を必要としないのですから、その分の価格を安く抑えることができるワケですね。
これが一般的なジェネリック医薬品の説明なのです。
話は変わりますが、「Back to the Future」は、1985年に公開されたマイケル・J・フォックス氏が主演した大ヒットSF映画であることをご存知の方も多いハズ。
その第3作が公開されたのは1990年のことでした。
クリストファー・ロイド氏が演じる科学者「ドク」の開発した「タイムマシン」に乗って、マイケル氏が演じる主人公「マーフィー」が時代を超えた大冒険を繰り広げるという、かの有名なストーリー…そのシリーズ第3作で、”Made in Japan” に関係するやり取りがあります。
「安物を使うからだよ。ほらMade in Japanだって」と言ったドクに、マーティは「なに言ってんのドク?すごいモノはみんな日本製なんだよ」と言い返しています。
それを聞いたドクはただただ驚く…。
この1955年のドクと、1985年のマーフィーの差が日本の進化を端的に現しているのです。
ドクのそれは技術の乏しい「安かろう悪かろう」としての ”Made in Japan” であり、マーフィーのそれは「コストパフォーマンスに優れた高性能」としての ”Made in Japan” なワケです。
このドクとマーフィーの30年は、日本の高度経済成長に重なります。
太平洋戦争に敗れ、多くのものを失った日本の経済を引っ張ったのは製造業でした。
機械も素材も乏しい中で作られたものの精度が高いワケもなく、それでも「食うために」安く買いたたかれても売れるものを作らざるを得なかった…というのが本当のところでしょう。
その時代背景についてはリンクから過去記事に飛んでいただくとして、「明治維新後の日本」も「戦後復興期の日本」も、日本は常に追いかけている立場だということが、この話の肝です。
良いですか、日本は基本となる技術を学び取る立場だったということです。
私には、それはジェネリック医薬品の製造メーカーの立場と被って見えるのです。
日本の製造業が得意としていることは、「既存の技術のブラッシュアップ」だということです。
クルマにしても、カメラにしても、家電製品にしても…オリジナルの発明は殆ど日本ではないワケで、それを安価でより良いものにする技術に長けていたということです。
だから、日本製は安いの。
オリジナルに打ち勝つためには、圧倒的な品質をオリジナルと同価格で実現するか、オリジナルと同品質を圧倒的な安価で実現するか、基本的にはこの二択です。
この「ジェネリックな製品」を供給する原動力が「安価な労働力」なのね。
戦後日本の「食うために」の基準は、安価な労働力を容易に手入れる環境に適していたワケで、高度経済成長で作るほどに売れ、経営側と戦うことをせずに仕事に精を出した方が得だった時代は、経営側も労働側も「Win-Win」の関係だったのは間違いないと思います…でも。
労働条件が経営側の意中の範囲であったことも、間違いないのだと思うです。
この労使の関係が、日本の雇用…特に障害者などの「一人前と認められにくい」方たちの立場を、一層あやういものにしている一因になるだろう…と、私は思います。
そもそもが経営側の意向が強く、故に労働側の権利が薄い状況で、新興国が次々と「マーフィーが見た日本」の位置に押し寄せてくる時代になった今、日本の社会デザインを変えるとすれば、そろそろジェネリックな立ち位置を新興国に明け渡し、オリジナルを探さないとダメなのかな…と、私は思うのです。
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