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Episode 746 安易な判断は危険です。

『葬送のフリーレン』の登場人物に Autism 性を感じるのはどうやら私だけではなかったようで、X (旧Twitter) に「フリーレン ASD」とキーワードを入力して検索すると、多くの方が『葬送のフリーレン』という作品に Autism 性を言及しているようです。
もちろん私もその中のひとりなのですけどね。

『葬送のフリーレン』に関しての Autism 性の言及は大きく分けて2パタンがあるようで、
①主人公、エルフの魔法使い「フリーレン」を Autistic と見るケース
②フリーレンのような「エルフ」や、勇者パーティの仲間であったドワーフの「アイゼン」を含めた人間界と相対する勢力である「魔族」を Autistic と見るケース
…が、あるようです。

私は前回までは①の立場での「フリーレン考」でお話ししてきました。
でもX (旧Twitter) には②の立場を取る方が少なくありません。
そこで今回、「フリーレン考」第3回目の話題は、②の立場への意見をどう見るのか…を考えてみたいと思います。

テキストはこちら…単行本の「第2巻」の後半から「第3巻」です。

第3巻までのザックリとしたあらすじは、大陸最北のエンデを目指すことになったフリーレン一行は、北側諸国・グラナト伯爵領の平穏を脅かす魔族・断頭台のアウラの勢力を破り、シュヴェア山脈を超えた先のアルト森林にある小さな町で僧侶・ザインと出会うところまでです。

さて…フリーレンの物語の中で語られる魔族とは、人間の言葉を「欺くための道具」として使う魔物を指します。
人を食らう捕食者が人の言葉を話す理由…

わかり合うための言葉ではなく、
欺くための言葉。

グラナト伯爵屋敷の地下牢にて、フリーレンの言葉

そもそもにして、フリーレンの物語の中の魔族は、人として描かれていないのですよね。
魔族は死と同時に魔力の粒子になって消えてなくなるワケで、屍すら残らない…。
そこに Autistic を見るとは、Autistic は人ではない別の生命体なのか…?

そうは言っても、そもそもにおいてフリーレンの物語はファンタジーですからね…「人ではないとは何事か!」とか熱くならないで、②説を冷静に見る必要はあるワケです。

恐らく②説を支持する意見の大半は、相対するあなたを理解したように見せかけて、驚くほど理解とは違う残虐さを見せつけることに対する既視感に理由があります。

ビンメルはもういないしゃない。

グラナト伯爵領の郊外にて、アウラの言葉

アウラのこの言葉は第2巻の「魔族の子」の回想シーンの伏線からの流れで、フリーレンに「魔族は討ち取らなけれはならない存在」であることを決定付けます。
アウラは、私(フリーレン)の大切なモノを理解せずに踏み躙った…。

②説を取る方は、無自覚なAS"D"者が放つ自己中心的で他者の気持ちを考えない行動に振り回された経験が心に大きな傷を作ってしまった方、または過去にそういう行動をしてしまった経験を悔いている当事者の方が多いのではないか…と思います。
Autistic が無自覚な状態とは、あなたから見た私の姿の想像ができないから、あなたとの関係性を考えた行動が取れないことにあります。
そして、その関係の帳尻を合わせようと無理をするから、内容のない形だけの真似をするライフハックを編み出すワケです。
その姿が「魔族の子」のネコを被る姿とよく似ているのでしょう。
そして最後に裏切られた…が待っていれば、その憎悪の気持ちから②説に向かうのは、理解に易いと思います。

ところで…。
Autistic には、人を思う心は存在しないのでしょうかね?
フリーレンの物語で描かれる魔族には、誰かを慮る描写は存在しません。
同じように、Autistic にも誰かを慮る感覚がないのならば、「Autistic =魔族説」を訝しがる要素は殆どなくなると、私は思います。
でもね…。

私は Autistic をいくつかのキャラクタを例えてお話しすることがあるのです。
フリーレンもそう、そして『千と千尋の神隠し』に登場するカオナシもそうです。
そして、この例え話に共通するのは、あなたをガッカリさせてしまう言動があったとしても、それはあなたを欺く目的で発せられたモノではない…ということです。
つまりね、Autistic には誰かを慮る気持ちが存在しているのですよ…それが上手く伝わらないだけでね。

だとすると、魔族の行動のあちらこちらに Autistic の行動が重なって見えたとしても、Autistic の行動の根本的理由の部分に人を欺く魔族性は見て取れません…やはり「Autistic =魔族説」にはムリがありそうです。

私の結論は、魔族には Autism 性を見て取ることはできない…です。
ただし、外から見たひとつひとつな行動を、それぞれ単体で考えれば、Autistic の言動と見分けが付かない可能性は大いにある…と、思います。
冷静にその人物の本質を探ることなく、安易に原因を特定することの怖さを、私はフリーレンという作品への反響から改めて思い知ることになったと感じているのです。


連載中の「フリーレン考」は不定期連載の為、前話との間隔が空いてしまうので、前回までの記事を添付しておきます。

こちらは単行本の第2巻から、誰かを思う能動的な行動に見る Autistic(自閉の民) と NeuroTypical (定型発達者) 違いについて。

こちらは単行本第1巻から、エルフが持つ無限に近い時間感覚が作り出す他者への関心よ弱さと、その気付きについて。

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