Episode 759 希望の灯火に見えるのです。
TVアニメ版の「葬送のフリーレン」が第一期(2クール分・28話)が3月末に終了して2ヶ月が過ぎました。
ネットに賑わせていた「フリーレン Autistic (自閉の民) 仮説」を目にすることは減りましたが、この物語の「人間 (関係) とは何か」と言う問いの深さが色褪せることはありません。
月に一回、この物語の深読みをしてみよう…と思いつきで始めたこの「不定期連載」も今回で5回目、マンガ単行本を月に一冊ずつじっくりと読んで、私の思ったことを書く企画なのですが、今回は第5回と言うことで、自ずとテキストは第5巻…と言うことになります。
第5巻をザックリひと言て言えば、北側諸国最大の魔法都市・オイサーストで行われる「一級魔法使い選抜試験」に挑むフリーレンとその弟子であるフェルン、そしてその第一次試験の会場で出会う受験者と試験官たちの姿、そして第一次試験終了後のそれぞれの様子が描かれるのです。
この一文に「本当にザックリだなぁ」…という感想を持って貰えたら嬉しいです。
私はネタバレを望んでいるワケではないのでして、詳しくはそれぞれマンガを購入して読んでみてほしいのです。
このnote記事が、その興味のキッカケになるなら、嬉しい限り…と。
さてさて、今回のトピックはこちら。
今回初登場のデンケンは、老齢の宮廷魔法使いで、この第5巻の中で「故郷である北部高原に入るために必要な一級魔法使いの資格が欲しかったから試験に挑んだ」…と明かしています。
ところで…一級魔法使いには、大陸魔法協会創始者の大魔法使い「ゼーリエ」から望んだ魔法をひとつ授けてもらえる「特権」が存在するのです。
その望みを求める受験者が大多数の占める中、デンケンはその「特権」を「馬鹿馬鹿しい。」と一蹴します。
そして、同じようにフリーレンも「特権」に興味を示さない…。
このふたりの「特権」に対する一般と異なる態度の共通点は、魔法を自在に使い熟す「手練の魔法使い」を目指すのか、魔法を自らの地位/立場に利用するのかの差として描かれているのだと思います。
フリーレンやデンケンは前者、その他の受験者や試験官は後者…。
デンケンがフリーレンと同じように感じるに至った理由は、恐らくフリーレンと全く同じ理由ではありません…デンケンの老齢に至るまで経験の中で、フリーレンの経験に掠っている部分はあるかもしれませんが。
今までの考察でも指摘した通り、フリーレンは永遠に近い命を持つエルフであるが故に、他者への興味が希薄な Autistic のような資質を持つワケです。
つまり、フリーレンの魔法に対する考え方は、常に「魔法とは何か、魔法使いとは何か」という魔法と魔法を使うも者の本質にあり、私(フリーレン)への評価はその結果でしかないワケですね。
ところが、一級魔法使い選抜試験に臨む多くの受験者は、魔法や魔法使いの本質追求ではなく、一級という資格が保証する社会的評価が目指すべきところに設定されている…。
一般社会を生きる上で、コミュニティ内の社会的な評価は重要な要素です。
そのコミュニティに属さず、冒険者の立場で最低限の仲間と旅を続けるフリーレンと、コミュニティに属して、社会的評価や立場を巡る争いの無益を見つめた結果、社会的評価に一定の理解を示しながらもモノゴトの本質を見る大切さを痛感するに至ったデンケンの立ち位置は、同じ結論に至りながら、全く異なるワケですね。
フリーレンほど優秀で、伝説的な魔法使いならば、フリーレンのような立ち振る舞いでも魔法を駆使しながら生きていけるのでしょうが、そこまで優秀でないならば、モノゴトの本質への愚直な行動が、社会的には不協和音になりかねないだろう…と感じます。
仮に私がエルフの魔法使いであっても、その永遠に近い命を抱えて本質を貫くことが許されず、目立たぬように社会に紛れ込む (カムフラージュ) 選択をするように思います。
フリーレンとデンケン。
その異質なふたりがお互いの本音で同意できる点があることは、わかる人はいるのだ…という希望になるかもしれません。
デンケンの存在は、私にとっての希望の灯火…かもしれません。
言い過ぎかもしれませんけれど。