Episode 573 逆手に取って考えます。
私のようなASDは「相手の立場に立って考えることが苦手」と、良く言われます。
実際に私も散々、自閉性質の核心である「自分の気持ちのコントロールができない」ことで「こころの理論」が未成熟なままであることが「相手の立場に立って考えることが苦手」に繋がるのだ…とお話ししてきました。
その一方で、ASDの人は論理的に物事を考えるのが得意…と言われることがあります。
これは、感情的・情緒的な思考の摺り合わせが苦手…「自分の気持ちのコントロールが出来ない」から、自分の感情の尖った部分だけを折り畳んで融通することができないことと関係すると思います。
感情的・情緒的な思考を単純に折り合わせるのは難しいから、折り合わせるために自分が納得できる「理屈」が必要になるワケです。
全てがそうではないでしょうが、考え方を修正するための動機として「論理的思考」が必要になってしまうのでしょう。
少なくとも、私にはそんな傾向があります。
このASD的な「論理的思考を好む」を逆手に取ると、相手の立場に立つという視点を養うトレーニングになる気がするのですよ…例えば。
私の思う「男女の平等」のベースに "shuffle" という感覚があります。
Wikipedia には、シャッフル (shuffle) について、このような用語解説があります。
その他、同じように「混ぜ合わせる」という意味の英単語を拾うと、
combine(~を)
commix〈まれ〉(~を)
compound(~を)
interweave(ある要素を異なるものと)
などがあるようですが、私の意図する男女の平等ということの場合、「トランプなどのカードゲームにおいて、カードを混ぜ合わせる行為」という Wikipedia の解説が一番イメージしやすいと思います。
こころと身体の性の不一致がある方もいるでしょうし、自身の性自認がどちらにも属さない方もいるのでしょう…が、身体的にどちらかの性に属してしまうことは一般的なことで、その性によって社会的な役割の多くが作りあげられていることは間違いないのだと思います。
男女を行ったり来たりするのは物理的に難しい…。
あ、男装・女装趣味のような話を否定するのではなく、社会的に「今日は男で明日は女として生活する」ように、性別を跨いで社会性を確保するのは現実的に難しいという意味ですよ。
私は以前に「女性の社会的な問題」と「障害者の社会的な問題」を対比して考える記事を書いたことがあります。
この記事の中で私が書いたのは、女性の社会進出と言われることの多くは、男性がメインの職域・職種に女性を登用したい…ばかりが目立つというハナシでした。
今まで女性がやってきた仕事はそのままに、女性の仕事だけ増やしても出来るワケないでしょう…。
先ほどの英単語で言えば、"combine" あたりが相当しそうです。
男性がメインの職域・職種に女性を "combine" する…そうすることで、その職域においては男女が平等に仕事に就けるワケですよ。
でも、"combine" には落とし穴があるのですよ。
トランプのカードは「スペード」「クラブ」の黒札と、「ダイヤ」「ハート」の赤札があります。
それぞれ13枚で黒札26枚と赤札26枚がある…如何にも既存のジェンダーっぽいですが、仮に黒札を男性、赤札を女性としましょう。
赤札の内の数枚が黒札メインの職域に "combine" されて、黒札がそのまま既存の職域に残った場合、黒札と赤札のバランスが崩れます。
この崩れた状態は長続きしない…バランスを保てるように何か手を打たなければ…。
そこで私が考えるのが "shuffle" ということです。
即ち、黒札の異動ですね。
女性がメインの職域・職種に男性を "combine" することも同時に行う…です。
このツイートは以下のように続きます。
トランプの枚数のように労働人口は限られている、その中で女性の社会進出を進めるのに「赤札だけを異動させてできること」は限られているだろう。
では、「バランスを保つためにできることは何か?」と考えたときに、黒札の異動も考えたい。
では黒札を異動するためにネックになるのは何か?
裏を返せば、それが赤札を締め付けている要因でもある…と。
論理的に自分事として捉える。
それは私のことではないから…ではなく、如何に自分に関係する様に物事を捉えるか、捉えられるか。
一度「自分事」として論理的に思考したことは、自らの考えとして自分自身に定着します…経験上。
私はこうして家庭内でパートナーとの "shuffle" と "share" を覚えたのだと思うのです。
私も以前には「家族サービス」なんて言葉を使っていたころもありました。
その頃はまだパートナーに対して "combine" を要求していた…ということでしょうね、きっと。