9年前のあの日
#2011年3月11日14時46分あなたはどこで何をしていましたか
Twitterで見つけたこのタグ。
あの日は中学校の卒業式だった。
その時間はちょうど帰り道。
関西に住んでいた私が
その揺れを感じることは無かった。
地震のニュースはその15分後。
帰宅してつけたテレビで知った。
地震が起きた瞬間の私には
悲しさや寂しさや悔しさや怒りが全部混ざってむしろ何も感じなくなっていた中に
ほんのわずかな安堵の気持ちがあった。
…ように思う。
不登校ぎみで3日に1回くらいしか登校できなかった私の中学生活は地獄のようなものだった。
その後の高校生活で更なる地獄を経験するのだが、よくよく思い返してみれば、中学時代から既に私は感覚が麻痺していたのだろう。
痛む心を誤魔化すために身体を傷つけ、その快感に溺れていた。感覚や感情を勝手に拾って勝手に傷つく事に疲れきっていた。いじめという暴行や窃盗の被害者になってからは、自分でも手が付けられないほどに荒んでいた。
批判されるだろうが、その頃の私は
校舎が崩れて全員消えればいいのに。
…と毎日のように願っていたのだ。
だから帰宅してニュースを見た時に
「場所、ずれてるよ」
って思って。そして何故か泣いていた。
私の地獄は今日の卒業式でもう終わったのだ。
もっと早く私の学校を潰しに来てくれたら良かったのに。
そんな関係の無い場所を壊したって意味ないよ。遅いよ。何してんだよ。
誰に願っていたのか
誰に向かって怒って泣いていたのか
今でも分からないけれど。
あの日の私はあまりにも自分勝手で自分本位だった事は分かるようになった。
…正直、今までの3月11日は、人生で1度の中学生活とその集大成の卒業式なのに、ちっぽけな安堵しか覚えなかった私自身の供養しかしてこなかった。
被災者や犠牲者の供養をしてくれる人はたくさん居るけれども、小さな私の心を労る事は私にしかできなかったから。
でも、それはもう終わりにしようかと思う。
高校の卒業式の私はもっと大変だったのだけど、大学では幸せな卒業を経験できたから。
人生で初めて終わるのが惜しいと思えたのだ。
だから、この日の私を思い出して辛くならなくていい。もういいのだ。
私の1つの地獄が終わった日に
地獄が始まった沢山の人が居る。
…そしてもう取り戻せない人もいる。
私はもう、全員消えればいいなんて願うことはない。
でも、それは大人になって私が何処へでも行けるようになったからで。
辛い環境から抜け出せない立場の子たちに願うなとは言えない。
だけど、たぶん。
願ってて本当になったら後悔するよ。
後になってじわじわ効いてくる呪いのように。
私に因果関係はない。
だから懺悔は違うけど。
被災地復興支援のお酒を買ってみた。
お米も予約してみた。
私に出来ることを何となく始めてみた。
そしてそれが続けばいいと思う。
そうしているうちに、私にとっても3月11日が復興の日になればいいと願う…。
やっぱり私は自分勝手で自分本位なままだ。
でもそれでいて少しでも、どこかの誰かにとって有益なことが出来ていれば幸いである。