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スピノザの神、アインシュタインの神、わたしの「神」

わたしは長らく、アインシュタインは神なんて信じていないのだろうと思っていました。アインシュタインが、「わたしは無神論者ではありません」と言っているのは知っていましたが、スルーしていたのです…..。「神はサイコロを振らない」というセリフも有名ですが、一種のレトリックにすぎないと思っていました。(実際、彼は神をネタに軽口もたたきます(笑))

しかし、そんなわたしも徐々に、アインシュタインは神を信じていたと考えざるをえなくなったのです。正直、がっくりでした。無神論者である(不可知論者と言ってもいいけど)わたしにとって、アインシュタインとわたしのあいだに、大きな裂け目が口をあけたような気がしたものです。

アインシュタインはなぜ神を信じたのか。その理由はわかりません。しかし、彼の神がどんな神だったかを知る手掛かりはたくさんあります。そのひとつは、「わたしの信じる神は、スピノザの神です」というアインシュタイン自身の言葉でしょう。

で、そのスピノザの神ですが、定義そのものは簡潔です。「絶対無限の存在者」。それだけ。これといくつかの定義、さらにいくつかの公理を置いて、スピノザは神がもつべき性質を演繹していきます。とはいえ、アインシュタインがスピノザの論証に納得して、スピノザの神を信じるようになったとは到底思えません。というのも、当時の無限についての理解は今とは違うし、スピノザは真空を否定しているし、非ユークリッド幾何学を知らないしで、今日の目から見たら、スピノザの証明の多くは証明になっていないからです。あれに説得されるわけはない。

じゃあ、アインシュタインはスピノザの神のどのあたりがいいと思ったのでしょうか? これははっきりしていて、「汎神論」的なところがよかったようです。スピノザの神はいたるところに存在する。神が存在しない場所と時間はない。あらゆるものは神のうちにあるーー汎神論ですね。アインシュタインにとっていっそう重要なのは、スピノザの神は人間に干渉しないことだったようです。スピノザの神は、事物のどこか外側にあって、天地創造をしたり、人間に干渉したり、サイコロを振ったりするような存在ではないのです。

とはいえ、アインシュタインは、「自分が知りたいのは、神がこの宇宙を作ったときに、他にやりかたはあったのかどうかです」とも言っています。宇宙、作ってるじゃん….。そこはスピノザと違いますね。(ちなみに、記事冒頭の画像は、スピノザ的にもアインシュタイン的にも、「これはないわ」という神の行為ですw)

スピノザの神は、ラテン語で deus sive natura、英語だとGod or Nature、 日本語だと「神即自然」ともいわれます。ああ、要するに自然のことね、だったらもう無神論でいいじゃん、と思ってしまいそうになりますよね。でも、スピノザが無神論者だとは、わたしには(『エティカ』を読む限り)思えないのです。神が存在しないことには、なにも構築できないのがスピノザの議論だと思うからです。

ちょっと脱線めきますが、だいぶ前に、セクストス・エンペイリコスの『ピュロン主義哲学の概要』を読んだとき、ものすごくくたびれたんですよ。この本は、近世哲学の形成に多大な影響を及ぼしたと言われる古代懐疑主義哲学の書なのですが、懐疑主義と言うだけあって、とにかく疑う。徹底して疑う。そうして疑うことによって、なにもかもが瓦解し、殺伐としたがれきの光景が広がっていくのです。わたしはその光景に、「ああ、ここからは何も立ち上がってこないわ…」と感じたものでした。わたしは徹底した懐疑主義者にはなれない….と。


実際、大きなものを作り上げる人には、自分として疑いえないもの、そこから何かを作り上げていく足場となるものが必要なのでしょう。徹底した懐疑主義の立場からすると、思考停止なのかもしれない。思考停止というとネガティブに聞こえますが、でもともかく、どこかで疑うのをやめないと、大きなものを作り上げることはできないだろうと思うのです。

そんな思考停止地点が、スピノザなら「絶対無限の存在者」、カントなら「物自体」、ヘーゲルなら「絶対精神」、ショーペンハウアーなら「意志」、ニーチェなら「力への意志」、ハイデガーなら「存在」……と言えるかもしれません。

アインシュタインは、ここに挙げたような思想家たちとは仕事の方向性が違いますが、そんな彼にとっても、「思考停止」することは、けっこう重要だったかもしれないと思うのです。その地点はどこか。

自然法則の見事さ、宇宙の調和に畏敬の念を抱くというのは、物理屋さんならそれほど珍しいことではないでしょう。ほとんどの人は抱くんじゃないですか? アインシュタインが多くの無神論的物理学者と違うのは、その畏敬の念から、人間などよりも高いレベルの知性(英語だと superior intelligence)の存在を深く確信したところだと思います。

なぜ!? と言いたくなりますよ。なぜ、そんなものを信じる必要があるのか。そんなものを信じなくても、宇宙はすごいのに…..。わたしと同じように感じる人は、けっして少なくはないでしょう。そこが、アインシュタインの思考停止地点(のひとつ)だと、わたしは思います。そして、アインシュタインにとって、疑いえないもの、何事かを作り上げるための大地としての神は、わたしなどが思う以上に(物理学者としてだけでなく、人間としての彼にとって)重要だったかもしれないとも思うのですーーわかりませんが。

わたしは、何か大きなものを作り上げるような人間ではありませんし、自分の思考停止地点を突き止めて受け入れるだけのパワーもありません。そんなわたしの「神」ないし「神々」ーーたくさんあるであろう思考停止地点ーーは、素性もあやふやなまま、わたしの思考のいたるところに潜んでいるのでしょう。


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