あやとり家族二十二
私生児として育った祖母。不倫相手を射止めるために自分の子どもをその妻に差し出し、その関係を続けた祖母の過去。
祖母のお母さん、つまり私の曾祖母は料亭を営んでいた。その時のお客さんとの間に生まれたのが祖母だ。
そのお客さんには妻子があり、不倫した相手との子ども。
相手の方は警察官という仕事をしており認知してくれなかったという。
祖母はそのまま私生児として育っていったが、このままでは小学校に入ることができない、いわば戸籍のない状態。
昔の戸籍といえば結構適当で、祖母自体も実際に産まれた日と戸籍上の誕生日は違う。産まれる前に出してしまう人もいれば産まれた後に出す人もいた時代。
祖母はこのままでは小学校に入学ができないことを見据えた曾祖母が、知り合いに頼み込み戸籍上の父となってもらい入学することができたという。
親戚がそのルーツを辿るため散々調べたが、当の本人はもちろん他界しており、その孫世代も詳しいことは聞いていないという。迷宮いりだ。
そんな祖母も大人になり結婚することとなる。他に兄弟がいなかったため、姓を継ぐため婿をもらった。そう、私の本当のおじーちゃんだ。
その人との間には4人の男の子を授かったものの、うまくいかなかったようで離婚することになった。4人目の子どもはまだ祖母のお腹にいて産まれる前だった。
長男、次男は父方につき育つことに。まだ小さかった三男、つまり私の父は祖母と一緒に家を出たらしい。
四男を身籠ったまま、家を出るということもすごいことだが本当に”女”という武器を出したのはこのすぐ後だ。
この時祖母は妻がいる男性と不倫していた。その男性と妻の間には子どもがなかなかできずにいた。妻は自分の夫が不倫していることも知っていた。
祖母が家を出てすぐのこと、その妻が祖母と会いこう言ったという。
”そのお腹にいる子をくれたら、不倫を続けていてもいい”と。
昔のことだから、家の跡取りというのはとても重要なことであり、子どもが産めない嫁という立場も辛かったのかもしれない。
祖母はその交換条件を受け入れた。
自分がその男性と一緒に居たいがために、自分のお腹を痛めて産んだ子どもを差し出したのだ。
まだ小さかった父を育てるのも大変だったと思う。これ以上育てられないから四男の幸せを願って渡してしまったのか。ただただ、その男性が好きで渡してしまったのか、祖母も他界している今本当のことは誰にもわからない。
四男が産まれてすぐのことだった。普通は戸籍を提出してから養子とうい形で渡すものだが、その手続きも省いたため最初からその家の子どもとして育つこととなってしまったようだ。これがこれから始まる遺産相続の問題に引き金になる。
だから父と父の弟の苗字が違ったんだって後からわかった。
原因はここにあった。