あやとり家族52〜実家に戻って母のおもちゃに逆戻り〜
まずは離婚届提出時の出来事
何かと不備があると面倒だから、印鑑を持って一緒に離婚届を出しに行った
役所で提出するときの証拠として、私が色々やっている隙を狙って
写真を撮っていた
すぐさま、私の携帯にも通知が入る
元夫になったこの男は、私が嘘のアバターで仲間にいることを知らない
「離婚しましたー!!」となんとも楽しそうな文面
”いつか仕返ししてやる”と思ったと同時に、離婚して良かったと心の底から感じた
実家に帰るしかなかった
住むところがないから仕方なく実家へ戻る
最低限の荷物だけ持って家に戻った
服や靴も最低限だけ。だから私の荷物の半分以上は置いてきた
実家に帰った日、母が夕食を作る
「食べ終わった食器洗っておいてちょうだい」
「助かるわ、面倒なのよね」
言葉の調子で、私はまた母のおもちゃに逆戻りしたのだと実感した
離婚して帰ってきたというのに、労いなんてものはなく
とにかく家のルールについて事細かに説明される
電源は抜いておくこと
お風呂の桶はこうしておくこと
測器洗うのはあなたの仕事
etc,,,
実家に戻ってきたことに対し負い目があった私
最初はとにかくいう通りにした
そのうち調子に乗り始める母
「あー眠くなっちゃた、あとやっておいて。そのくらいしないとね」
私はこのとき看護学生、アルバイトもして実習があったり宿題も並大抵の量ではない
寝る時間も一日3−4時間ということもあったが
協力しようなんて素振りは一切なし
私が勉強していると、チラチラ見てくる
「何?」
「消しゴムのカスが、、、」
「全部終わったら片付けるから、今勉強中だから待ってよ」
全く集中できない
トイレに立ったときのことだった
ほんの数分の出来事
戻ると机の上が綺麗になっていて、消しゴムのカスが掃除されている
自分のペースで進めないと気が済まないようだ
「すみませんねえ!!!」と言って一気に勉強道具を片付けた
「いいのよ、宿題あるでしょ?やっちゃいなさいよ」って
どんな神経しているんだか理解不能
言っていることとやっていることが真逆だ
一切の勉強道具だけ持ち家を出た
その日は家に帰らなかった
連絡も無視した
車中生活の始まり
私はそれ以来家に戻らなかった
出て行ったきりだ
母がいない空きを狙って残りの荷物を車に乗せた
ここでも荷物はさらに減った
この時からだ、物を持たない生活になったのは
この短期間に荷物の移動を急遽行ったことで
”いつでも夜逃げできるくらいの生活をしよう”
と考えるようになった
ミニマリストというよりシンプリスト
連絡が毎日来るわけでもなく
暇な時だけ連絡してきているのはわかる
「どこにいるの?ご飯はどうしているの?戻ってきなさいよ」
戻ったらまたおもちゃにされる
いいように使われる
心配しているように見えて、実は自分の手元においておきたいだけ
そのくらいのこと、もう私にはわかっている
「友達の家にいる事にしたから、大丈夫だから」
「そうなの?誰?」
これも聞いているだけだ、心配とかではなく
自分の興味
それから連絡は来なくなった
このあと5ヶ月間連絡は取らなかった