あやとり家族63〜今思えば〜
浮気相手の外人の女の人はとっくに帰国し、あれだけ「結婚したい」と言っていた夫は、自立に向けて動き始めていた。
目標がいまいち理解できなかった
その人と一緒になる!って断言していたが、一ヶ月もすると諦めたようで、その話もまるでなかったことのように私と自然と会話する
私の方は、初めて浮気をされ、その本気度から受けたショックが大きく毎日泣いていた。会社には行かなければいけないから頑張って行っていたが、まるで行きながら死んでいる表情。車に乗れば思いだし通勤時間は泣きっぱなし。
自分の何がいけなかったのか、レンが誘わなければとか、ありとあらゆるネガティブな妄想で頭がいっぱい。
こんな状態の中「自立したい」と家を出て、お金がなくなれば借りにくる。ADHDの発想力なんだろう、思い立ったら後先考えず行動する。そして忘れっぽい。
だから、ちょこちょこ用もないのに家に来ては、「今床をフローリングにしているんだ、ほら見て」と引っ越した家の改築模様の写真を見せてくる
自由に改築してもいいと大家に言われ、その改築がとても楽しいのだと
「上手にできてる、すごいね」
この時は私は気づいていなかったが、自分もADHDであって更にアダルトチルドレンとして育ったことから感情表現がとても苦手
見捨てられ不安がとても強く(この時はまだ自覚していなかった)嫌われないような言葉しか発せられない
自分勝手な夫が、私から距離をとったにも関わらず、自由に行き来して
そこに対して普通怒ったりするんだろうな、って
怒ることなのかな、拒否はしても良かったのかな
夫が反省するにはそういう態度でいた方が普通だったのか
未だに自分の取った行動にすら不可解さを覚える
改築終了
「見にきて」
「わかった、今行くよ」
別居の意味はなんだったのか、別居するには距離があまりにも近すぎだった
歩いても15分で着く距離
こんなことがあっても誘われば嬉しくて、見に行ってしまう
”彼はこういうことがしたかったんだ”と痛感する
この後、友達を呼んで引っ越しパーティーを開いた
浮気の発端を作ったレンももちろん来た、全くもって悪びれる様子もなく。
私としては、浮気現場にいたのだから”止めてよ”という思いがあったが、
レンは”自由でいいんじゃね”という性格だから責めることはできない
その場に一緒にいたけれど、この悔しさの感情は我慢してやり過ごす
喧嘩でもしてジンに嫌われたくなかったから
みんなで楽しく酒を交わし、大笑いして、家の中に七輪を置いて「バーベキューだ」なんて馬鹿げたこともするものだから、家の中は煙だらけ
でもそれはそれで楽しい思い出となった
未だに残る後悔
一緒に住んでいた時は私が支配的になり、きっと窮屈だったのだろうと今頃気づく
”気づいただけまだマシ”と思うようにしているが、この数年後離婚することになって、離婚してから4年経つが未だに後悔が残る
それは自分の性格が要因にあって、もちろん彼の悪かったところも多いが人のことを言っている場合ではなくて
「どこに行くの?何時頃帰るの?」常に不安だった
支配的というのは相手にとっては相当嫌なこと、自分がやられたら絶対に嫌だし
時折「たまにはどっか行ってきたら?」と優しく忠告を受けることもあったし
「俺に構うなよ」と言われたこともあった
イエローカードは何十枚も出ていたのに、気がつかなかったんだよな、この時は
今思えば。今では遅い。でも今思えばだ。
これも、今いる既存の友達に指摘され気づいたこと
このほかに、私には見返りを求めるところがあると気づかされた
これは愛着形成が不完全だと、人の役に立てないと生きる価値を感じないからだ
思いやりが動機ではないから、人に尽くしても見返りがないと相手を恨んだり怒りを覚えたりする(尽くしているつもりが支配的になっていることが多い)
その友達は、私の見返りを求めるところに憤慨し連絡してこなくなった
今思えば。一度経験しているのに気づくのも遅いが、”後悔先に立たず”の言葉の重荷が何十倍ものしかかる
こうして今も生きづらい人生を歩んでいる