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多様な家族の見送り(葬儀)

義父を見送りました。
延命をしないことを望んだため、
一週間の危篤状態中に親戚一同集まり、
みんなに囲まれながら穏やかに旅立ちました。

何回も経験することではないしきたりに、はて?と思うことが多く、今までの当たり前を見直す機会になりました。
最上位の目標
「自分たちらしく見送る」というみんなの想いから、みんなで話し合い選択肢を広げました。
ホームでは、もう意識がなくても耳は聞こえ、臭覚はあると教えてもらい、
ねぶた祭の審査員などをしていたおじいちゃんに、「ねぶた囃子」の音楽🎵をかけたり、思い出話に花を咲かせたり、コーヒーの香り☕️を嗅がせたり、
小さな酒宴をしたり🍻(笑)
眠っているのに、時々、左足先をわずかに動かし、合図を送ってくれているようでした。

ホームの方から最期は、点滴も酸素マスクをしないことで、本人がふわふわ軽くなっていく状態を作っているらしく、人工的なことを加えると本人が辛くなる話を伺い
自然死を見守りました。

義母が積立をしていた式典斎場は、カタチは整っていても、あまりにも無機質で、
短時間で意思決定をしていく作業に、多様な家族は素直にokは出せず、
話を聞けば聞くほど、頭に??が広がり、
家族葬は、自宅で葬儀に決定💓
事後報告の予定でしたが、新聞社から問い合わせに義母がうっかり日程を全て話てしまい😅
お通夜も式場の控室の温かいライトの明るい部屋で、葬儀は自宅に版画家だった義父の作品や、思い出の写真を飾り、
葬儀のあとは、みんなでテーブルを広げ、宴会をし、和やかな葬儀でした🪷

また分家のため、先祖代々の宗派にこだわらず、義父とPTA活動で一緒だった住職がおり、五重塔や昭和大仏を版画で彫っていた青龍寺(真言宗)さんにお願いしました。

青龍寺を作られた織田住職の四谷・真成院では、俊太朗が、ダウン症で生まれ、心臓手術のため、約5ヶ月入院していた時に何回か通い、祈祷をしてもらったことなどご縁がありました。

多様な親戚みんなが話し合い、「自分たちらしく」見送ることができ、おじいちゃんが一番喜んでくれたのではないかと思います。

翌日、青龍寺に伺い、昭和大仏の中の回廊に描かれている49日までの絵図を拝見🥹


葬儀までみんな全力で動いたため、お経のリズムに葬儀中は、ほぼウトウト状態💦
また、親戚が集まり初めて知るルーツの話など、まだまだ魅惑の青森。おじいちゃんがくれた大切な時間で学ぶことの多い、濃厚すぎる一週間でした😊

#創作大賞2024
#自分たちらしく
#エッセイ部門
#オールカテゴリ部門
#ダウン症


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