乱歩が愛した浅草の哀愁「木馬は廻る」
今回は、浅草を舞台にした江戸川乱歩の短編、「木馬は廻る」を紹介します。
なんやこの作品全然知らんな、って思ってる人も結構いると思います。なんせかなりのマイナー作ですからね。でも、僕的には、乱歩の作品の中で一番好きです。なぜこの作品はもっと評価されないのかと不思議に思っています。なので、この記事のおかげで少しでも「木馬は廻る」が広まってくれないかと願っています。では、本編行ってみましょう。
この作品は乱歩と春日野緑で創刊した同人誌「探偵趣味」に掲載された作品です。
あらすじは、
この作品の主人公は、浅草の木馬館でラッパ吹きをやっている格二郎とおよ男です。明記はされませんが年齢は五十代くらいだと思われます。
格二郎は、一つは好きの道、一つは仕様ことなしでラッパ吹きを続けているのです。彼は、ラッパを吹いている間だけは世知辛い現実を忘れられました。
そんな彼にとって、切符切りの娘・お冬の存在は仕事の中での癒しでした。彼とお冬とでは相当年も離れているし、格二郎には女房も子供もいるという悲しい現実。でも、彼はお冬と話せばときめきを感じるのです。
格二郎は、お冬を喜ばせたい一心で、流行りのショールを彼女にかってあげようと考えますが、一番安いものでも彼の手に届くものではありません。
そんなある日、彼は、一人の男がお冬のポケットに封筒を突っ込むのを見かけ、ひょっとしたらラブレターではないかと考え、戦慄します…….
とまあ、あらすじはこんな感じです。この作品の舞台になった浅草の木馬館について少し解説しておきましょうか。
この作品が書かれた大正時代の浅草には、見世物小屋や迷路などのいわゆる「いかもの」が集まった町で、乱歩は東京の他の町と比べて哀愁や暗さを感じていたそうで、そこに魅力を感じていたそうです。この作品は、乱歩の浅草趣味をそのまま文章にした好短編とも言えるかもしれません。
この木馬館もその中の一つで、「いかもの」とは違うかもしれませんが、哀愁は感じるかもしれません。
木馬館は、今でいうメリーゴーランドに乗れる施設といった感じでメリーゴーランドの回転中に楽隊が当時の流行歌などを演奏していました。格二郎もその中の一人だったわけです。
今では遊園地のアトラクションとしてしか扱われなくなったメリーゴーランドですが、この当時はまだまだ珍しいものだったのでしょう。
さて、この作品は、一般的な推理小説ではなく、ほんの少しだけ犯罪を物語にからめていますが、全体的には恋愛小説の味が強いです。初期の乱歩の短編には恋愛による悲喜劇にトリックや暗号をからめた作品がいくつかあります。この作品もその一つですが、他には「日記帳」「算盤が恋を語る話」「接吻」「モノグラム」があります。
こうした「恋愛を主体とし、そこにトリックや犯罪をからめた小説」というのは乱歩作品でしか中々無いような気がするので、長編作家になってからはこのような作品を書かなかったのが悔やまれます。
この作品を読んで僕は、「もっと長くしてくれたらよかったのに….」
と感じました。短編としては上手く仕上がっているんですけど、格二郎やお冬たちの「その後」がめちゃくちゃ僕は気になるんですよ。これはただ単に、この作品に対する僕の愛着が異常なだけかもしれませんが….
ということで、今回は「木馬は廻る」を紹介しました。乱歩が長編作家になったあとの作品と読み比べると、本当に同じ作家が書いたのかというくらい作風が違います。
全編に哀愁が漂っている乱歩作品は、本作だけなんじゃないでしょうか。ぜひ、その哀愁を自分で感じてみてください!