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なぜここに大集落 ??? 宮谷白山遺跡
縄文中期、柄鏡型竪穴住居。北には奥多摩湖、その奥には標高2,017mの雲取山。南7~8キロに桂川つまり中山道。北西に622.5mの百蔵川、北東には951mの扇山。 そしてここは標高400m位の扇状地の一番奥に位置している。南斜面で日当たりは良く、桂川までの眺望も素晴らしい。
でも、ここは斜面に位置している小さな平地。看板には大集落だったというようになっているけれど、奥はすぐに上り斜面、この奥には現在は人家は無い。雑木林になっている。南側もすぐに急な下り坂になっている。現在は小集落になっているが、家々は斜面に建っている。
この遺跡の有るところもとてもサッカーコート程の広さはない。そして北、東、西は山によって隔絶されている。すぐ近くに小さな川は流れてるとは言え、なぜここに集落?囲まれている山々はその時代は常緑広葉樹の林で有っただろう。リスや猪もいただろう。居住条件としては確かに恵まれていたかも知れないけれど、ここに住んでいた人達はどんな理由でここに定住したのか。どのくらいの期間ここに居たのか。他の地域の人達との交流は有ったのだろうか。
住居跡しか残していない人々の日々の営みとその精神世界に限りなく想いを馳せる。
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