見出し画像

紅茶という名のカクテルとの出会い

栃木を除く地域の緊急事態宣言が延長された。
ここまで様々な努力をされてきた業種の方々に更なる苦境の日々が続くことはとても辛い。

テレビで飲食店や居酒屋のオーナーの悲痛な言葉を聞きながら、私は、かつて足げく通ったとあるBarのことを思い出していた。

もしも、あのBarがまだ存在していたら。
今どうなっていただろうかと。

背伸びをして飛び込んだ世界

時は、新卒で入社して一年目の初夏。
私はあらゆる意味で希望を失いながら、日々過ごしていた。

希望の企業に就職できても、入社後に違和感を覚えたり、こんなはずじゃなかったと嘆くことは多少なりとも誰にでもあることだと思う。

人から見れば、
「あの会社で働けるなんて羨ましい」
と思える企業でも
誰もが、やりがいのある仕事を任される訳でもない。
まさに私自身もそうだった。
同期の多くが、同じような気持ちを抱いていた。

残業に追われる日々の中でも、まっすぐ家に帰ることなど皆無だった。
そのまま、上司に飲みに誘われ、楽しめない会話をしながらお酒を飲む。
そうでない日は、同期の誰かしらとご飯を食べに行ったり、飲みに行ったりという日々。

同期と話していても、最終的には会社、仕事の愚痴になる。
話しながら嗚咽し、泣き出す子もいる。

みんな、疲れきっていた。
学生の頃からの友達に会っても、本音を話せないもどかしさをみんな抱えていた。
私も同じだった。
学生時代の親友にさえも、辛いということを言えなかった。
「それでも恵まれてるよ。あの会社に入れたんだもん。」
と言われてしまうから。

ある日、学生時代の友人と飲んだ夜のことだった。
明日も会社か...と思いつつ、なんとなく一人でもう少し飲みなおしたい気持ちだった。

どこでも良かった。
今日友人に会っても本音を話せなかった自分自身を労いたかった。

一軒のBarに目がとまる。

ひっそりと佇む、大人の雰囲気が漂うお店。
20代前半の娘が一人で行くには早すぎるか?
少しだけ自問自答したが、背伸びをすることにした。
なんとなく、ここは落ち着けるようなそんな勘だけをたよりに。

バーテンダーさんとの出会い

扉を開け、階段を降りると、始めて来たはずなのになぜかいつも来ているような、そんな錯覚に陥った。

いらっしゃいませ

静かに店員さんがやってきて挨拶する。

カウンターの席に座り、メニューに目を通した。

バーテンダーさんはおしぼりを渡してくれたが
すぐに
「何になさいますか?」と聞くことなく
こう一言私にいった。

ようこそ。今日も1日お疲れ様でした。

お疲れ様でした、と言われたことにちょっと驚いた。

「やっぱり私、疲れているように見えますか?」
苦笑いしながら、そう言うと、バーテンダーさんは温かい笑顔でこう答えた。

いいえ。そんなことありませんよ。
皆さんそれぞれ、ご自身の環境で1日終えられて来たのですから。
皆さんそれぞれお疲れのはずですよね?

気づくと私の目には光るものが溢れていた。

恥ずかしいな、そう思いながらも必死に光るものを拭っていた。

「どうしよう、それにしても、なに頼もうか迷っちゃいますね」
誤魔化してその場をやりすごすように私は独り言のように呟いた。

その時、一番最初に私が何を頼んだのか
なぜか思い出せない。
多分、その場しのぎで、涙を見せてしまった気まずさから
パッと思い付いたカクテルを頼んだことは確かだ。

ただ覚えていることがある。

そのカクテルがお世辞でもなく、とてもとても美味しかったことだ。

その次に飲んだのはしっかりと覚えている。

テキーラサンライズだ。

これもやはり美味しかった。

「美味しい...」

何度も何度も言いながら、味わっていた。

最初は一杯、と思っていたのにこのお店で二杯飲んでいた。

また来よう、ひとりで。

そう思いながら、温かい気持ちでお店を後にした。


足げく通った理由

気づけば、そのBarにはほぼ毎週通っていた。
仕事のあと、飲みやご飯のあと。
一人になりたい時には、決まって行っていた。

ごくたまに、親しい同期を連れていくこともあった。

けれどほとんどは、カウンターで一人で飲むパターンだった。

何故そこまで足げく通ったのか。

とにかく、ほっとできた。
大袈裟だが、もう1つ帰る家ができたような
そんな感覚だった。

店員さんも、バーテンダーさんも適度な距離感で接してくれた。
それが何より心地よかった。

カウンターで飲みながら無言でいても、気まずくなかった。

無言の中にも、無言でいさせてくれる心地よさ、温かさがあった。

いつしか、バーテンダーさんには絶大の信頼を置いていた。
私が仕事やプライベートのことを話す時でも、
バーテンダーさんの思い出話や経験談を聞くときも。
不思議な関係性だが、何か貴重なアドバイスを言われたとかでもなく、話すことで癒やされた。
聞くことで癒やされた。

単に常連客の一人にしかすぎない私の好みを
かなり短期間で知っていた、というか見抜いていた。

「今日はこんな気分じゃないですか?」と
カクテルの名前を言われ、え?何で注文する前にわかるの?と言うことは当たり前。

だから、おまかせしてしまうことも多かった。

20代前半の娘がBarに通っていたなんていうだけでも可笑しな話なのに、
いつしか私はボトルをキープしてそこから作ってもらっていた。
どれだけ小生意気な娘なんだろう。
今の私から考えてもそう思う。

背伸びしていることが心地よかった。
そして、背伸びをしている私を受け入れてくれる空間だった。

来ているお客様も優しかった。
たまにご一緒させてもらうこともあったが
お互いのことを詳しく話さずとも
このお店に来ている同士というだけで
親近感があった。

「ここは本当に良いお店だよね」
顔馴染みの方と会うたびにいつもそう言い合っていた。

その名はロングアイランドアイスティー

ある日のこと。
私は、親友と思っていた(思い込んでいた)友人からの裏切りでショックを受けていた。
その彼女は以前、お店に連れてきたこともあったので、バーテンダーさんにポツリポツリと話していた。

辛いですね、それは。

そう、とても辛かった。
後から考えると彼女のことを信じていた私がバカだったのだが、まだそんなことが分かるほど大人ではなかった。

強いお酒作ってくれますか?
めちゃめちゃ、強いやつ。

泣きそうになるのを堪えながら、バーテンダーさんに伝えた。

うーん、とバーテンダーさんは苦笑いしていた。

強いお酒、って言ってもなぁ。
ほしまるさん、お酒強いからなぁ。

しばらく考えて、にこっと笑いながらバーテンダーさんはこう答えた。

思い付いた!ちょっと待っててくださいね。

差し出されたお酒は、
紅茶のような綺麗な色のカクテルだった。

ロングアイランドアイスティーです。

えええ、アイスティ?いやいや、私、お酒頼んだんだよー。
バーテンダーさんは笑っていた。

飲めばわかりますよ

私がグラスに口をつけて飲み始めても
バーテンダーさんは笑いを堪えていた。

これ、確かにお酒ですね...

また堪えきれず笑いながらバーテンダーさんはこう言った。

ほらね。ほしまるさんにはこうなっちゃう。
でもねこれ、めちゃめちゃ度数強いんです。
飲みやすいからわかりづらいですけど。

何が入っているか聞いたらびっくりした。
確かにそれは強い。
それゆえに、レディキラーカクテルとの異名を持つカクテルの1つだ。

でも、とにかく美味しかった。

飲み終えてから、もう一杯頼むと、
はい、と言いつつ、バーテンダーさんは大笑いした。

ほしまるさん、これ、作るの大変なんです。
でも僕自身も好きなカクテルだから
お気持ちよくわかります。
お待ちくださいね。

その日からロングアイランドアイスティーは私のお気に入りカクテルになった。

バーテンダーさんの涙と悲しい別れ

私の結婚が決まった。
バーテンダーさんも店員さんも、顔馴染みのお客様もとても喜んでくれた。

ある日お店を訪れると、バーテンダーさんが少し険しい顔をしていた。
明らかにわかる表情ではなかったが、微妙に顔が強張っているように見えた。

何かありましたか?
思わず、尋ねてしまった。

ああ、すみません、ほしまるさんにはばれちゃいましたか、と苦笑いしながら
バーテンダーさんはしきりに謝った。

あとで、ゆっくり話しますね。

お店の賑わいが少し引けて、常連さんや顔馴染みの方が残り始めた頃

お酒を作りながら、バーテンダーさんはポツポツと話し始めた。

どうやら、このお店の界隈が色々と変わるらしく
このお店も近いうちに閉めることになる、と。

このお店が大好きでバーテンダーをしてきたけれど
別の場所でお店を持つ気はない。
田舎のご両親も年老いてきたので、このお店を閉めたら、ご両親の世話をするために田舎に帰るつもりだ、と。

このお店がなくなってしまう?
嘘、嘘でしょ?

そう聞きながらうろたえてしまった。

バーテンダーさんは初めて私に涙を見せた。

すみません。
バーテンダー失格ですね。
私もとてもつらくて...

私よりも前に事情を知っていたお客様も泣いていた。

辛いねえ、ここがなくなるなんて、と。

みんなと会えなくなるんだな。

そう思いながらお店を眺めて私も泣いていた。

形はなくとも心に残る

残念ながら、その後、そのお店ほど気に入ったり
通うほど好きになれたお店はまだない。

一口飲んだだけで違うのだ。
私が好きだったカクテルと。

数年経って私は、自身でカクテルが作れるようになりたくてカクテル講座に通ったこともある。

けれど、レシピは数多くあれど
どう作っても、あの時馴染んだあの味にはならない。

私自身、年とともにお酒も弱くなり、なかなか外で飲むことも少なくなった。

けれど、もしも、まだあのお店が存在していたら。
緊急事態宣言の中どうしていただろう。

特にカクテルはその場でつくるもの。
だから、テイクアウトなんてできるはずもない。
営業開始時間を早めたとしても、やはり客足は少なく、大変だと思う。

そう思うとBarを営む方々、Barで働く方々、
そしてBarを愛する方々はきっと辛いだろうと想像がつく。

どうか、Barに関わる、愛する人たちがこれ以上辛い状況になりませんように。

私がかつて愛したお店はもうないけれど。
今でもずっとずっと心に残っている。

店員さん、バーテンダーさん
そして常連客の皆さん。
あの時温かく接してくれたお一人お一人が、健やかに過ごせていますように。





















いいなと思ったら応援しよう!

ほしまる
この記事を気に入っていただけたら、サポートしていただけると、とても嬉しく思います。 サポートしていただいたお金は、書くことへの勉強や、書籍代金に充てたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。