あえて逃げることも見ないことも、時には必要。
自分の調子が善い時か、善くない時か、
私の場合、判断材料は
【自分自身を客観視できているかどうか】
ってことなんだと
最近改めて気がついた。
まぁまぁいい感じ、
そんな調子でいいんじゃない?って時は
パフォーマンスの出来/不出来とか
結果でもなくて
気持ちの安定だとか、周りの余計な雑音に邪魔されなかったとか
そういうことなんだなって。
そして何よりも、私自身の気持ちをきちんと把握できているかどうか。
とても簡単なようで、これがなかなか難しい。
あくまでも私の場合。
どんなに良い結果を出しても、
よくやった、と評価されることでも
自分自身に納得がいってないって思う時には、
やはり自分自身の状態含めて
満足いくものではないんだなと
そんなことに日々改めて気づく。
そういう意味では、私の場合、
調子の好調/不調の波というのはとても大きい。
些細なことでも調子を崩しやすいし、
苦しい時もある。
調子が善くないなんてことがないように
いつも万全でいようと、
そう思い込んでいた時があった。
あらゆる意味での【敵】が複数いる環境にいた時だ。
そして、結果が常に求められる時
そういう状況では 少しのミスが命取りで
奈落に突き落とされるし、要らないものとされる。
味方に思えていた人も誰も助けてくれない。
ただ自分自身がズタズタに傷つくだけ。
かつてそうしてズタズタでボロボロになった時は
私がポンコツだったからだとか、
私は競争に負けたんだとか
自分自身を責め続けた。
でも、最近改めて思ったことがある。
同じ環境にいて【生き残った人たち】が全てにおいて優れていたわけじゃない。
もちろん全てにおいてパーフェクトな人たちもいる。
そうじゃなくて
完璧でないのに完璧なふりをして、人を傷つける人という厄介な存在がいたこと
そういう人が実は世の中意外といることに
改めて気づいた。
あの人たちも 【生き残るために】必死だったんだと
今改めてそう思う。
公私あらゆる人間関係において接する人たちが、
心から好ましいと思える人をばかりじゃない。
中には傷つけるタイミングを狙っている人がいる。
かつて私は 身近な親しい人が
まさかそんなことをするわけないのにって人たちが
タイミングを見て私を奈落に落としたとき
立ち直るのに相当時間がいるほど傷ついた。
慕ってくれた人、色々面倒見てあげてた人たちが
みんな私を見捨てた時には
ああ、そんなこともあるんだと。
ただ、私は 恨まなかった。
かわいそうなのは、大人なのに、いい歳してても私を傷付けて見捨てた人たちだと思ったからだ。
今、私が傷つかずにいられるのは。
仲間や友だちに恵まれて 不満なんてないからではない。
むしろ今、傷つかない理由は
直感でヤバそうだと思う時、思う人たち、言葉に出会ったときに
逃げているからだ。
見ないでいるからだ。
あっ、て 知らずに 見てしまうことはある。
その瞬間、すぐに 逃げるし、見ない。
回避することで、自分を守れているからだ。
だから私は決して強くない。
ポンコツでも、なんとか生きてる。
だからこそ見えてくる幸せって沢山あるんだ。
だから私は、今日も書くんだ。
☆今日の一曲☆
読んでくださりありがとうございます。
なんとなく今日は気持ちに任せてそのまま下書きなく書きました。
その気分に合っていて、そして落ち着いて聴ける曲
Years&Yearsの Eyes Shut
です。
Years&Years / Eyes Shut
Spotify
Apple Music
Years&Years については近々記事を書く予定で、
そこで私なりに詳しく書けたらなと思っているので
今日は曲だけでも覚えていただけたら。
とてもゆったりとしたテンポで 静かなメロディと
ボーカルの オリーの歌にとても癒されます。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。