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母の日に白いカーネーションを買う勇気をもらった話

両親と妹を亡くしてから、まだ数年しか経っていない頃の、ある年の母の日。

私は当時、住んでいた家から近い花屋さんに 予約していた花を取りに行っていた。


その花屋さんには、度々お世話になっていた。

当時は、友人や知人の結婚などお祝い事も多かったので、花束を買うときはいつも予約して 取りに行ってから会場に向かった。

また 家族のお墓参りに行く前に、いつもお供えの花を買っていた。

母は花が大好きで、いつも家には花を飾っていた。

そんな母のために 仏壇の側にお供えする花を買いに行っていくことも多かった。

お供えのお花を買うことが頻繁にあったので、
お店の方々も ある程度、私の事情は理解してくれていたのだろう。

いつも、花を買いに行く際 お店の方々とちょっと雑談になっても
必要以上に詳しくこちらの事情を尋ねることもなかった。

けれど、いつもお店を出るときに声をかけてくれていた。

「喜んでくださるといいですね。」

私はそう言われる度に、

「ありがとうございます。」

そう言いながら、そのお花屋さんのおかげで
いつも素敵な花をお供えできることに感謝していた。

昔から、母は様々な習い事にも積極的に取り組んでいた。

中でも印象に残っているのは、生花、そしてフラワーアレンジメント。
どちらも 母は仕事のあと、教室から帰ってくる度に夜遅くまで練習していた。

美人で、太陽のように明るくて社交的。
何でも完璧に出来て、常に輪の中の中心にいる女性。
母は沢山の人たちに慕われ、愛されていた。

けれど、何でも出来るのは、母が負けず嫌いで、人一倍努力家だから。

他にも、なんとなくイメージだけで母のことを語る方もいた。

そんな話を耳にする度に、子どもの頃から

「人って、大人になっても、見た目やイメージでしか判断しない人もいるんだな。」
と思った。

私は母が努力をしている姿も、沢山見てきた。

コンクールや大きなイベントが近づく度に
生花の厳しい師匠にダメ出しされて、夜 悔し涙を溢しながら何度も何度も生けている姿は、私の中でずっと心に残っている。

フラワーアレンジメントの母の師匠は とてもおおらかで優しい方だった。
そのせいかは定かではないが、母が家でフラワーアレンジメントの練習している姿は、どこか生花よりも楽しそうで、のびのびとしていた気がする。

いずれにせよ、どんなことにも手を抜かず頑張っている母に私ができることは、珈琲やお茶を淹れてあげること。
そして、ちょっと休憩の時に、おしゃべりしながら
肩こりがひどい母の肩を揉んであげることだった。

 母の日のために 花屋さんで予約していた花は
母が最も大好きだった、カラーとカサブランカ。

そして白いカーネーション。

お店の方と相談して、予算も伝えて 
いつものように 長さも供えたり飾る場所ごとに 分けてもらっていた。

「こんにちはー!」

私は、挨拶して お店へ入る。

お店の方々だけでなく、母の日などのイベントの日は、臨時のバイトさんたちが来ていて
お客様も多く、お店も賑わっていた。

「ちょっと待っててね。
どれもとても良いのが入ったから
綺麗に仕上がったわよ。」

店長さんが、用意してくれていた花を取りに店の奥の方に行った。

その間、私はお店の方々の邪魔にならないように
お店のすみっこでお店の花たちを眺めていた。

「お待たせしました。
どうかしら、こんな感じ。」

店長さんが長さごとにまとめてくれた花の束を見せてくれた。

「うわー、綺麗!」

「でしょ?素敵よね。
じゃあ、簡単に包みますね。」

「ありがとうございます。」

そんな会話をしながら、綺麗に仕上げてくれた花束たちを見つめていた。

代金をお支払いしようと、鞄からお財布を出そうとした時のことだ。

店内に私に向けられた ある一人の子の声が響いた。

「ママ、どうしてあのお姉さん、
白いカーネーションなんか買ってるの?
なんで赤やピンクとか
可愛い、綺麗な色じゃなくて真っ白なの?」

店内が一瞬にして静まり返った。

それまでそれぞれ花を選んでいた人たちが
一斉に私の方を見た。

(うわー。居たたまれないな。)

自然と、財布を握る私の手が震えていた。

なんとも言い難い寒気が襲った。

けれどその凍てつく寒気が、熱い炎に変わったのは、その母親の一言だった。

「しーっ。見ちゃダメ。
あのお姉さんは、かわいそうな人なのよ。」

気付くと 私の全身は、哀しみではなく、怒りで震えていた。

なぜ、白いカーネーションを買うことが
【かわいそう】なのか。

母(私は父と妹も)を亡くした人間は
みんな【かわいそう】なのか?

言葉は汚いけれど  つい私は

ふざけんなよ...

小さな声でそう呟いていた。

お店の方には迷惑をかけたくない。
けれど、こんな失礼なことを言われて黙っているだけなのは嫌だった。

親子に駆け寄ろうとしたその時だった。

店長さんが私の手をつかんで 小さな声で 私に任せて待ってて、と囁いた。

そして、つかつかとその親子のところへ向かった。

「申し訳ありません。
他のお客様のご迷惑になりますので、
他のお店でお買い求めいただけますか?」

母親は はぁ!?と言いながら怒りにまかせて
何よ、とか、私がなにか迷惑かけた?とか大声でまくしたてた。

しまいには私を指差して、

あ、あの人が、
白いカーネーションなんか買ってるから!
哀れじゃないの?

キッと睨みながらも大声で笑っていた。

私もお返しとばかり、睨み付けるだけでは済まなくて、店長さんを遮って言い返そうとした時、

店長さんは冷静に、その母親に告げた。

「お客様は、母の日がどうして生まれたか、ご存知ですか?
白いカーネーションがもともとの起源とも言われているんです。
だから決して【白いカーネーションなんか】じゃないのです。」

店長さんは毅然と続けて話した。

「私は、花屋です。
沢山の色のカーネーションを扱います。
でも、白いカーネーションは美しいから
純粋に私は大好きなんです。
白いカーネーションをお買い求めいただく方を差別なさるなら、どうかお帰りいただけますか。」

母親は店長さんを思いきり睨み付けた。

何も言わずに子どもを連れて店を出た。

「ごめんなさいね、お待たせしちゃって。」

店長さんは笑顔で私のところに戻ってきた。

「いや、謝らなきゃいけないのは私です。あんな、私のために...」

私はうつむいていた。涙を堪えていた。

店長さんはポンポン、と私の肩を叩きながら
また笑ってこう言った。

「気にしないで。
私だって人間だから。
ただ単に誰にでも
沢山売りさばきたいわけじゃないの。」

何もなかったかのように 笑いながら話す店長さん。

そしてお店の方々。

私はとても救われた。

その後もずっとずっと母の日に白いカーネーションを買う勇気をもらえた。

白いカーネーションの花言葉は
「私の愛情は生きている」または「尊敬」

お花屋さんの言葉のおかげで、白いカーネーションを好きになった。

二十数年経った今でも、そのお花屋さんにはとても感謝している。

☆最後に☆

母の日の起源については 諸説あります。

こちらのサイト以外にも色々書かれていますので
改めて知りたい方は是非ご覧くださいね。
















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ほしまる
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