一人で悩まずにいられた、母の言葉
あの時、手で患部にじかに触れた感触は今でも忘れられない。
なんで、こんなことに。
そんなにも私は、身も心も、ストレスに蝕まれていたなんて。
☆
大学卒業後、新卒で働いていた当時のことだ。
私の所属していた職場は、担当営業部署の経理。
「頼むから、この部署で、まともに休もうなんて思わないでね。」
「有給休暇の取得もお盆休みも、あり得ないから」
入社早々、先輩や上司たちから、
口々にそう言われた時も、
まさに上半期の決算期。
部内の社員みんなが血眼になって働いていたのを覚えている。
とんでもないところに来てしまったな...
忙しい中で、まだなんの戦力にもならない自分がとてつもなく粗末に思えた。
今思い返しても、
毎日毎日、とにかく忙しい職場だった。
通常業務も、3ヶ月目からは私の担当営業部を更に増やされた。
それだけでも目が回るような忙しさ。
なのに1年目の最年少ということで、
上司たち、先輩たちの細かい雑務まで丸投げされる毎日。
代わりに持っていった書類に不備があっても怒られるのは私。
理不尽だなんて思っても、理不尽だらけで
何が理不尽じゃないのかすらわからなくなりそうだった。
毎日、毎日、トイレで泣いた。
同じ社内だと誰かと鉢合わせる可能性を考えて、
わざわざ隣のビルのトイレで大声で泣いた。
残業浸けに加えて、
「これも"飲みにケーション。(コミュニケーションのモジリ)"って立派な仕事だから」
と上司や先輩の飲み会に連れていかれる日々。
そうした飲み会がない日は、
同期とひたすら飲んで愚痴る。
飲みながら皆で泣いていた。
「こんなはずじゃなかったよね...」
誰もがそう言う。
何人もの同期が、ストレスで押し潰されそうになっていた。
☆
毎日家に帰るのが遅くなっても、
そんな私を、母は必ず起きて待ってくれていた。
「軽くお茶漬けでも食べる?」
温かいお茶と一緒に必ずお茶漬けをだしてくれた母。
母とは昔からなんでも話す関係性だった。
けれど、仕事の愚痴はなぜか言えなかった。
母や父に心配をかけたくなかったのかもしれない。
そして私には、三歳下の妹がいた。
だから 私が毎日、疲労の抜けないまま 忙しい毎日を過ごしているなんていうことを、
母や父が知ったら、きっと妹の就職活動時に、過剰に心配するかもしれないと思ったのは事実だ。
「ママも明日も仕事でしょ?
先に寝てていいよ」
「ん。ありがとう。おやすみね」
母が敢えてなにも聞かないことも、私にはありがたかった。
☆
ある日のことだ。
お昼ご飯を食べてから、化粧室で歯を磨いていた。
すると、左脇の髪の毛が少し跳ねていることに気づく。
当時の私の髪型はベリーショート。
整髪料が手元にないため、水を付けた手で少し撫で付ける。
髪の地肌に ちょっと違和感のある感触があった。
鏡に近づいて恐る恐る見る。
信じたくなかった。
私の頭に、500円玉より少し大きな地肌丸出しの円形脱毛症があったのだ。
こんなの人に見られたくない...!
それよりも、自分にこんなことが起こったなんて信じたくない。
なんとか隠そうと思った。
そんな私が慌てて取った策は、
毛が抜け落ちた箇所に 眉ペンシルでひたすら塗りつぶすことだった。
手鏡と照らして大丈夫か確認する。
そのあと、私は何事もなかったかのように化粧室を後にした。
誰も私の円形脱毛症には気づかない。
そりゃそうだ。
みんな忙しくしていたり、
忙しくない人(部内の先輩に何人かいた)
は、忙しいふりをするのに必死なんだから。
円形脱毛症...行くとしたら皮膚科なんだろうか。
地元に、小さな頃から通っていた皮膚科はある。
だが、そこだけには行きたくなかった。
よく知ってる先生だけに
「ほしまるちゃん、これは円形脱毛症だね」
と診断されるのも、診察されるのも気が引けたからだ。
かと言って、会社近くの皮膚科にも
誰かと鉢合わせないか不安で行く気になれず。
結局、病院に行かないまましばらく過ごした。
☆
そんな中、ある日のことだ。
遅く帰宅すると、また母が起きて待っていた。
「お帰り。今日は酢の物も残ってるよ」
いそいそと残った夕食を温め直す母。
着替えてから、改めて鏡で円形脱毛症を確認する。
気づけば、500円玉ほどの大きさから
ピンポン玉ほどに 少しずつ大きくなった気がして落ち込んだ。
これ、どうしようか...
その瞬間、はっと気づくと母が後ろに立っていた。
「やっぱりね」
母は何も言わずとも、私がストレスを抱えて
円形脱毛症にまでなっていたことに
とっくに気づいていた。
「ほーら、ちゃんとよく見せてごらん」
私は無言で恐る恐る髪の毛を持ち上げる。
母は何て言うだろう。
すると母は、こう呟いた。
「もう。眉ペンシルで塗りつぶすなんてかわいそうに。
この子だって、痛くて辛かったと思うよ」
えっ?
円形脱毛症を この子、という母に驚いた。
「ストレスためて、辛くて辛くて、
この子だって、ほしまるにわかってほしかったのよね。よしよし」
そう言うと母は、毛が抜けた部分を優しく撫でる。
「ほしまるのことだから、緒方先生(仮名:皮膚科の先生)のところに行くの、
恥ずかしかったと思うけど。
土曜日出勤しないときに、早めに行ってきなさいね」
母はそう言うとおやすみ、といって寝室へ行った。
私は母の後ろ姿を見ながら涙を流した。
私の母が、ちょっと茶目っ気のある母でよかった。
母の一言で、毛が抜け落ちてしまったことを過剰に、神経質に考えずに済んだからだ。
その後しばらくして、治療の甲斐もあり、私の頭から「あの子」は姿を消した。
☆
時は流れ、20年近く前のことだ。
当時 私は、夫の海外転勤先から一緒に帰国して、社宅で暮らしていた。
縁あって、社宅の沿線の皮膚科で受付と診療補助のパートをしていた。
夜、仕事を終えてからも患者さんが来られるように、と配慮された時間帯、
夜遅くまで診察していた病院だ。
毎日、夕方以降は本当に満員の患者さんで待合室が埋まっていた。
「ほしまるさん、今度はこちらの処置お願い」
「はい」
同じく受付/診療補助は三人いたが
三人いても本当に目が回るほど忙しい職場だった。
中には、かつての私と同じ 円形脱毛症に悩む 患者さんも少なからずいた。
皆、初診や治療に来はじめの時は下を向いて俯いていたりする。
その気持ちはよくわかる。
だからこそ、私も、他の二人もそんな不安や緊張が取れるように
ゆっくり言葉を掛けながら治療のお手伝いをしていた。
「実は私も同じ経験したことあるんです。
だから心配しなくて大丈夫ですよ」
経験したからこそ、言える言葉だ。
患者さんの患部に治療薬を塗ったり、電気を当てたりする前にそう患者さんに話すと、
皆、一様に緊張が解けるのがわかった。
一口に脱毛症と言っても、症状の軽さ重さはまちまちだ。
けれど私は、心のなかでいつも唱えていた魔法の呪文がある。
(不安や緊張がほぐれますように)
そして、
(1日でも早く、また毛が生えてきますように)
なぜならかつて、私も同じような思いを経験した一人だからだ。
☆☆☆
この記事を気に入っていただけたら、サポートしていただけると、とても嬉しく思います。 サポートしていただいたお金は、書くことへの勉強や、書籍代金に充てたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。