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「痩我慢の説」 Facebook上の中谷光宏氏の投稿(6月6日)に答えて
「瘦我慢の説」のその言葉(「立国は私なり、公に非ざるなり」)は、福沢諭吉のクリティカルポイントといっていいでしょう。福沢の批判に対する勝海舟の返答(「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張」)は見事だったと思います。
仰るところの(西郷隆盛らの)陽明学的なラディカリズムに対する勝の現実的な姿勢は、今の私には度量の大きなものと見えます。またそれは、日々急場を凌いで自他の生を明日へと繋ごうと腐心している我々の中でも働いている知恵にこそ、つながるはずではと考えます。
『福翁自伝』で、祠の中の神体の石を捨て、他の石ころと換えて神罰の有無を見ようとするような福沢の心性からして、公と私の弁別に対する逆説的批評は鋭いものだと思いますが、そこからして、なぜ勝の政治的「痩我慢」に思い至らなかったのか。福沢の心性は、柳田國男『故郷七十年』の、祠の中の蝋石を見てトランス状態になりヒヨドリの声で我に返ったなどというラディカルな感受性とは隔たるものであったはずなのに、などと思います。むろん、そこには現実直視における即物性ー軽薄さーがつきまとってもいるでしょう。
少々話が広がりすぎましたが、私には、ラディカリズムも陸沈(市井の隠者)も、ロマンチシズムもリアリズムも、我々誰でもの裡にいくらでもうごめく、時々の心性のかたむきとして見えてしまうのです。
ポール・セザンヌ / メトロポリタン美術館蔵