能登半島地震で我々ができること
令和6年能登半島地震の被災地では発災後72時間が経過し、行方不明となっている方々の状況は厳しさを増している。行政や現場を預かる担当者の焦りは察するに余りある。1人でも多くの命が救われることを祈りたい。
他方、東日本大震災の教訓をあげるとすれば、担当者が交代で休息を取ることが大切だ。政治家、政府関係者、自治体職員、自衛官、警察官、消防職員等、皆同じだ。不眠不休は判断力を鈍らせる。
政治家としてできることは何か
私自身ができることは何か考えている。東日本大震災の際に首相補佐官として官邸で対応にあたった際、多くの同僚議員からの協力の申し出に応えられなくて心苦しい思いをした。政治家として何かしたいという葛藤はあるが、絶対に現場と担当者の邪魔だけはしたくない。
現場の妨げにならない範囲でやれることはやろうと思い、発災直後に自民党の原子力規制担当者として原発の安全を経産省OBに確認した。この局面では渦中の担当者への連絡は避けるべきだろう。現地の状況は被災地に住む知人から電話で聞いた。今は人命救助と救援物資の提供が最優先。
馳浩石川県知事のX(Twitter)投稿をリポストするだけの自分に無力感が募るが、東日本大震災を経験したことで、政府に入っていない政治家の出番はもう少し後だと心得ている。
被災地を支援する方法
私が政治家になった原点は学生時代の阪神淡路大震災だ。発災後3日目に海外から急遽帰国し、自宅に帰る友人に頼まれて水の入ったタンクを背負い一緒に徒歩で神戸に入った。被災地の妨げにならないよう、その日は水と救援物資を置き、後ろ髪を引かれる思いで独り歩いて帰った。
被災地に向かう道路は「救援物資」と書かれたプレートを掲げた車で大渋滞だった。多くの人々の善意が、あちこちで続いていた火事の鎮火作業や行方不明者の捜索の妨げになる現実を目の当たりにした。
2月に入り、被災地で支援を始めたNPOからの依頼を受けて2か月間、神戸で災害ボランティアとして活動した。全国から膨大な量の救援物資が集まった。善意を何とか被災者に届けたいと思い物資を仕分けしたが、生ものや古着は被災者に届けることができなかった。チョコパイが大量に送られてきたのだが、被災者に受け取ってもらえず、ボランティアセンターの場所を巨大な段ボール箱が占有して作業に支障をきたしたため、我々ボランティアが毎日食べ続けることになった。
東日本大震災や熊本地震などを経験した我が国では災害対応のノウハウが蓄積され、災害直後に被災地に送るべき救援物資は水、医薬品、毛布、生活に不可欠な食料、おむつなどに絞り込まれている。これらはプロの仕事だ。
北陸に心を寄せる多くの人が何かしたいと思っているはずだ。そう遠くない日に、北陸の皆さんを元気づける多様な支援のあり方が出てくる。お気持ちのある方については、義援金という形で協力してもらいたい。今はそれが被災地のためだ。