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土地のもつ重層的な記憶 〜遠野物語に学ぶ、残すに値する未来〜 『シン・ニホン』

編集途中で、口語体文語体と入り混じっておりますが、ご容赦ください。


無責任な大人たち

今年に入ってボクは『シン・ニホン アンバサダー養成講座』を受講した。『シン・ニホン』という一冊の本を広げていく読書会を開催する「アンバサダー」になるための講座だ。そこで出会った同期メンバーの23歳しばちゃんの漏らした言葉が、ボクの心をエグった。

『シン・ニホン』文中で、「未来を君たち若者に託す」みたいなことが書いてあったけど、そんなこと唐突に言われてもなぁー、って気もするんですよ。それって無責任じゃないですか・・・?」


誤解されないように追記するとしばちゃんはとてもクレバーで冷静、論理的な若者を代表するナイスガイだ。オンライン講座内でも、常に空気を読み、他人を傷つけないように配慮しながらも、的確な発言をする。

そんな彼がふと漏らした(きっと)ホンネの一言。

「無責任じゃないですか・・・?」

彼のいう通りだ。もし46歳のボクがいま23歳の若者なら、同じような憤りを感じていただろう。。。


悶々とする大学生たちの憤り

企業活動の一環として最近、大学生のインターンシップ採用を強化したボクは、多くの現役大学生と日々オンラインで会話を交わしている。

そこで強く感じるのが、彼らの中でマグマのように煮えたぎっている鬱憤(うっぷん)だ。

オンライン講義という想定もしていなかった授業スタイル、

外出も許されず閉鎖空間に閉じ込められて悶々とした日々、

かつて憧れていた華やかで楽しいキャンパスライフとはかけ離れた生活を強いられている。

そんな毎日をかれこれ1年も過ごしている彼らの憤懣(ふんまん)はまるで噴火直前の富士山のごとく膨張している。


ミドルエイジたちよ、立ち上がれ!

そんな若い彼らの憤りをひしひしと感じつつ、なぜ、こんな社会をボクらは作り上げてしまったのか?と、彼らと話すたびに本当に申し訳なく思う。その責任の一端を感じながら、猛省する中でボクら自身の過去を振り返ってみる。

ボクらミドルエイジが大学生の頃(平成初期〜中期時代)は、レールに乗っかることですべてが充足していた。一流企業、有名企業、老舗企業に入社して、カイシャインになることで、あまり不安も感じることなく生きていける・・・そんな幻想社会の中で、きっとボクらミドルエイジは茹でガエルになって来てたんだ。

でも、もう変わらなきゃならない!まったなしだ!!

若い彼らが、こんなに真剣に未来へ立ち向かっているのに!

彼らが、レールのない荒野を前に必死にもがいているからこそ、

俺たちミドルエイジが立ち上がるんだ!!!

そう、『シン・ニホン』にある勝海舟、大西郷のように。


いまやらねばいつできる、わしがやらねば誰がやる。


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これは、ボクの生まれ故郷、岡山県井原市の彫刻家巨匠「平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)」の言葉。

幼い頃から何度となくこの言葉に触れ、幾重もの年月を経て今まさに思う。


いま!わし(ボク)がやるんだ!!


だからやります!! てか、既にやりはじめてます。

それが、シン・ニホン的、風の谷「森の国Republic」構想



超限界集落での「風の谷」チャレンジ

愛媛県で最も小さなまち松野町、その中の人口わずか270人の超限界集落に森の国Republicはあります。

ここにボクが移住して1年が経ちました。


日本最後の清流と言われる四万十川の源流にあたる滑床渓谷。

澄み切った清流、その水からもたらされる肥沃な土壌、そこで育つ美味しいお米や野菜、果実。

何よりも思いっきりスローライフで満たされた空間。

開疎空間の極みともいえるこの場所で、サスティナブル、Circuler Economy、ヘルシーでWell-Beingな社会を創造する。

先述のインターン志望生たちをボクは常に誘います。


「森へおいでよ!」

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都会で人工物に囲まれて辟易してるなら、森へおいでよ

閉鎖空間でオンラインだけの繋がりに悶々としてるなら、森へおいでよ


大自然に囲まれた深い深い森の中だからこそ、発露するニンゲンとしての衝動性。

感覚を研ぎ澄ませて、感情を揺さぶりながら、残すに値する未来を創造するんだ。


そんな誘いにたくさんの大学生がポジティブに反応してくれます。

この春夏、森には10名以上の若きフロンティア大学生たちが森に集結する予定です。



森でボクが伝えたいこと。


デジタルネイティブの君たちは、AI x DATAもロボティクスも仮想・拡張空間のテクノロジーも難儀することなく取り込みながら、新しい未来を創造していってくれるだろう。我々ミドルエイジは、足手まといな「ジャマおじ」にならぬよう、細心の注意を払わなければならない。


一方で、君たちよりちょっとだけ人生を長く生きた人間だからこそ、伝えられる事実があるんだ。

それは、過去の記憶の大切さ。

人類は長い長い年月を経て、今この瞬間を迎えている。

積もり積もった時の経過の中で、重層的に積み上げられた土地の記憶。

そう、土地の持つ記憶の中に、残すに値する未来へのヒントがあるような気がするんだよ。だから、それを共有したい。

土地が持つ重層的な記憶(『シン・ニホン』の最終章でも強調されている)

これこそ、まさに天然のビッグデータなんだ。



柳田國男が遠野物語で遺したかったこととは、


ご先祖さまが積み上げてきてくれたこの天然のビッグデータの上に、我々現代人の営みがあることを忘れてはならないと思います。

どんなにAI x DATA、テクノロジーが進化しても、全てこの土地の記憶の延長線上にあるのだと思います。


今から百年以上前に柳田國男によって編纂された『遠野物語』。

当時、岩手県遠野地方のまさに土地の記憶を逸話、伝承というカタチで遺しいるこの物語の序文にはこう記されています。


「願はくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」


戦慄せしめよ とは、何ともビビッドでホラーな言い回しではありますが、そこまで言い切って柳田國男が伝えたかったことがあるのだと思います。

ちなみに平地人とは、明治以降、日本が近代国家へと傾倒していく中で、山間地域から、首都圏や都会(平地)への移り住んで都市を形成していった人々を指します。

急速に近代化していく都市と、そこへ急進的に集まる人々を見て、直感的に危機感を覚えた柳田國男の魂の叫びにも聞こえます。

都会の閉鎖空間で人工物に囲まれた環境で生きていくのか?

それとも、かつて人間が人間らしく暮らしていた田舎の開疎空間で生きていくのか?

コロナに翻弄される人類がいま問われているのだと思います。

つづく。


以上、終わり。



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