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明けない夜に会う、いいひと。


小さい頃聞いたマンガ るろうに剣心の主題歌、T.M.Revolution 西川さんのHEART OF SWORD 〜夜明け前〜で、「人生の終始 プラマイゼロだなんてばほんとかな」って言葉をずっと覚えている。
私は、プラマイゼロは本当かもと思うようになった。「世の中鏡のようなもの」「行いがいいから・悪いから〜」みたいな言葉もあるけれど、因果律の計算式さえ出せなくたって、目の前のものごとは割とそんな風に動いているように見える。

最近の仕事で、大きく負担に思うことがある。
会社や上司の言うことの理不尽には限界を感じている。上司の目線に立てば、その理屈も分からなくないのだけど、全体として筋が通らない。
会社を辞めてしまいたいと、感情に走りたいとも思うけど、何も間違えていないのに白旗振るのも間違いだ。足場を浮き立たせないようにはからって、負けなら負けで最後まで立ち合いたい。

そんな傍ら、今まで嫌ってきたゴミゴミした通勤電車で、乗客の心ある対応に立て続けに出会った。
仕事を終えて帰路につき、駅のホームに入ると、なんと反対側のホームで初老の男性が倒れている。そこには2組の男女と二人の男性が立ち会っていた。こんなとき、誰もいなければ私は反対側のホームに行ったけど、人だかりになってもよくないので対抗ホームから見守った。やむなくして、車椅子を押した駅員さんがやってきた。すると一人の男性が「タンカないですか?」と。私は頭を打ってないのか…と気になった。
それから駅員さんは何やら携帯電話で話し、その後集まっている衆に何やら話しかけた。すると少しホッとしたように、彼らは解散する。倒れた男性も足を動かしていたので、私も意識があるのがわかり安堵した。そして少しスマホに目をやっている間に何もなくなっていた。
映像を撮ってやろうなんて人もいなかった。いいひとたちもいるんだな、と思った。

それから電車に乗り込みほどなくすると、お母さんと動物を模した黄色い帽子をかぶった男の子が乗り込んできた。夏気分で楽しそうにしている。するとシートに座っていた20代と思われるカップルの男性が、彼女に「座らせてあげようよ」話すが、「え…?」とすぐにわからなかった。なぜならカップルと親子がいる場所は、声を掛けて席を譲るには少し離れすぎていたし、人も多い。男性は「あれ」と小さな男の子に目線をやると、彼女は少し戸惑っている。でも男性は立ち上がって親子に声を掛けにいった。素直に喜ぶ二人を連れ、私の後ろを通り、人の間を潜って席に案内した。男の子は嬉しそうだった。それから数駅過ぎるとカップルが降りていき、親子も同じ駅だったようで追いかける。「ありがとう」って、小さな黄色い帽子のその子が見上げながら言ったんだろう。

ちょっとだけいいな、と思ったことがある。男性が親子を迎えに行ったとき、瞬間的に電車の座席は1つ空いていた。彼女は戸惑っていて無理に荷物を置いたりしなかったから、単純に席は空いたのだ。電車に乗っていてふいに席があくと必ず誰かが座るものなのだけど、その日誰かが座ってしまうことなく、彼と親子が戻ってくるまで席は空いたままだった。その場にいた誰もが彼の起こした状況を見守っていた。男の子やお母さんの笑顔も、彼の善意も、彼女の立場も、そしてその場の乗客群のモラルも守られていたのだ。いいひとたちで良かった。

嫌なことがあって恨めしく思ったり謎に自分を責めると、私の場合自分の体に悪く跳ね返ってくる。目が悪くなったりどこか悪くなったり。
だから私は書き出そうと思う。日常の何気ないことだけど、こうやって書き出せば少なくとも記事の中で平衡が生まれ、プラスマイナスゼロは実現する。嫌なことが続いたとしても違う側面で良いものに出会っている。

ひとつだけ、何があっても曇らない視野を持てていることだけは誇りに持っていよう。明けない夜はないから。朝日を見るまで必要な時間を過ごしておけばいいだけだと。


Aoi314

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