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占いやスピリチュアルから一番遠いところにいた私が占い師になるまでのものがたり②

前回からのつづき。
前回はこちら

性被害。
21世紀のいまは、この問題も皆が声をあげられるようになってきましたね。
1980年代に被害に遭ったわたしは20歳になるまで誰にも言えませんでした。
言っても理解されないし、そもそも加害者に「これは誰にも言ってはいけない」と言われたらそうなんだな、と思うしかありませんでした。

小学校5年生の秋、友達と近所の公園でおしゃべりしていたら作業服姿の見知らぬ男性に声をかけられました。「ちょっと手伝って欲しいことがあるからこっちに来てもらえないか」と。その頃近所では宿泊施設の工事をしていたので作業服を着た人をよく見かけていたので何か運ぶのを手伝うのかな、と軽い気持ちで付いて行き、作業小屋に2人で入りました。
男性小屋の奥まった方に進み「どっちでもいいからこっちに来て」と言うのです。その時点で異様な雰囲気を感じて躊躇していると友達は私に対して先に行くように促しました。男性は急かす、友人は私をこづいて先に行かせようとし、その場を立ち去るという選択肢は思い浮かばずに男性の前まで進み出ました。男性は私にズボンを脱ぐように言いました。友人は遠くからこちらをじっと見ています。私はその男性から性行為を強要されました、時間にするとおそらく10~15分くらいだったと思います。けれども私には永遠のように思えました。ことが終わって、恐る恐る友人の方を振り返るとそこにはもう人の気配はありませんでした。
それまでの私には「性行為」についての知識が皆無だったので何をされているのかその意味・意図が全く理解できませんでした。
ただ、人というのは本能的に「いま声をあげたり抵抗すると命に関わるのでは」ということを咄嗟に感じとるのですね、ひたすらにこのことが終わるようにとそれだけを願っていました。
最後に男性は「このことは誰にも言わないように」と釘をさされましたが、明日には学校中に広まるだろうなぁ、友人はおしゃべりさんだからなぁと絶望的な気持ちになったのをよく覚えています。
帰り道、自転車に乗るとお尻のあたりが痛く、ひどく惨めな自分を恥じて涙が止まりませんでしたが、そこからしばらくの記憶は抜け落ちています。
友人はクラスでも有名な噓つき女子だったのが幸いしたのか、私の性被害のことは教室で話題に出ることはありませんでした。
この出来事は普段、蓋をしているのであまり意識はしません。けれども成長するにつれてその意味が分かるようになると男性への恐怖が増すようになりました。痴漢にあったり、歩いているときにクルマに連れ込まれそうになったりしたことが何度かありました。その度に、感情すべてが壊れる感覚があります。そして自分の存在そのものがひどく汚れた惨めに感じてなりませんでした。私がなぜ、このような目に遭わねばならないのか。

自己肯定感がない、自分を大切にする、という意味が分からないというのはこの経験が大きかったと思います。

信仰をしている私なのに、祈っている私なのにこんな目に遭うのは私の信心がまだまだ足りないから。
そう思い込んでいました。悲しい出来事そのものを悲しむことが出来なかったんです。私の宿業なんだ、とさえ思って自分を責め続ける日々でしたので、気持ちのバランスが崩れやすくなりますし、いつ友達にバレるかわからないという恐怖もありますので、学校ではつとめて明るくひょうきんに振る舞うようになりました。けれども身体は正直なもので、小学校を卒業するまでの間、学校では午前中ほとんどお腹を下していました。そして家に帰ると不安をかき消すかのように毎日1升のご飯を食べて、気が付けば体重は20kg以上増えてしまいました。

③につづく


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