マインドを正しく使い、エゴイズムを非活性化しよう
人間は 絶対無限の存在(神)から、マインド超素材 を利用する恩恵を授かっている。加えて “自由意志” も有しているため、人間には「“自己”意識 に目覚める自由」も、「無知(分離)の闇に落ち込んでゆく自由」も許されている……が、やりたい放題できるわけではない。
原因と結果の法則(カルマ)が、苦しみの原因となる「人-悪魔」(欲望-思考型エレメンタル)を抑制し、マインド超素材を “自己”意識 的にノエティカル・イメージ化する智恵(光)や、分離の次元(3~5次元)から6~7次元に戻る智恵(光)を得る機会を人間に授けている。
しかし時に、人類の “集合的無知”(集合的な エゴイズム) が極度に膨れ上がり、それが “集合的破滅” をもたらすことがある。旧約聖書 にある ソドムとゴモラの滅亡 や 大洪水とそれを逃れたノアの箱舟 の話はじっさいにあったことで、現代社会も同様の自滅の可能性を孕んでいる、、、
“キリストの教え”(真理)が理解され、“自己”意識 に目覚めたひと が一定数以上誕生すれば、“集合的破滅” は回避できるだろう。 “キリストの教え” を信じるクリスチャンは、“集合的破滅” の抑止のために働かなくてはならない。「個々の 現在のパーソナリティー 」および「人類の集合意識」に巣食った「人-悪魔」を、積極的に非活性化してゆかねばならないのだ。
ダスカロスのいう「生存に関わる 潜在意識 の五つの枝分かれ」とは、「所有欲」、「自己顕示欲」、「支配欲」、「間違った解釈」、「成功欲」であるが、これらは潜在意識的な “欲望” で、“自己”意識的な “欲望” も存在する。“欲望”(さまざまな振動レベルの意志の力)= “エゴイズム”(「人-悪魔」)ではないのだ。
“エゴイズム” がなくても人間は生きていけるが、“欲望” は人間のパーソナリティーを構成する エレメンタル の創造と維持に欠かせない マインド・バイタリティー だ。「人-悪魔」(欲望-思考型エレメンタル)は “思考” が “欲望” に従属し、「人-天使」(思考-欲望型エレメンタル)は “思考” が “欲望” のマスターであるが、「魂-エゴとしての自己」が “マインド超素材” を “思考” として形態化しなければ、いかなるエレメンタルも創造されない。
つまり「人-悪魔」は、「分離の次元に投影された自己」(時間と空間 の自己)の一部……ということ。
エレメンタルには、それを創った人間の “命”(魂の波動)が宿っており、意志を持った生命体のように振る舞うことができる。エレメンタルが 創った人間を離れ、同種の周波数を持つ他者に影響を与える こともあるが、エレメンタルは “生命力” を維持するため、必ず創った人間のところに「戻ってくる」という性質がある。このことは新約聖書(マタイ福音書12章 43‐45節、ルカ福音書11章 25-26節)で、「人-悪魔」(汚れた霊)が戻ってくる話として語られている。
「人-悪魔」を非活性化する方法
ーーー(2023/11/13追記)ーーー
ダスカロスの著書「キリストのたとえ話」から、具体的な「人-悪魔」の非活性化方法について書かれた部分を引用しよう。
ーーー(追記おわり)ーーー
「人-悪魔」の非活性化は “関心”(エーテル・バイタリティー)を注がなければできるが、それは存外に難しい、、、考えないようにすればするほど考えてしまったり、集合意識的に活性化されたグループ・エレメンタルの影響は避けがたかったりする、、、が、対策はある。それは、現在のパーソナリティー を構成する「人-悪魔」を6次元の波動に変容し、永遠のパーソナリティー に融合させてゆく……というもの。
Noel は、ダイアン・フォーチュンさんのエレメンタル吸収法 をアレンジ ↓ して使っている(注:ダスカロスが教えたものではない)。
“空想” を超えた “現実” を観る
ほんとうのじぶんは “霊” であり、“魂” であり、“永遠の存在”(エゴ)であることを、言葉で説明するのはひじょうに難しい……が、真理の探究者はさまざまな学び、体験、ガイドの導き、観察、内省、瞑想、夢を思い出す、明晰夢、体外離脱 などによって、「霊-魂-エゴとしての自己」が “ある” と確信してゆく。
物質界、サイキカル界、ノエティカル界 は、人間の “想像” や “空想” を超えた “現実” なのだ。それを、“視覚化” と “観察力” を鍛えて体験してゆこう!
“観察力” については、下記で書いた。
“視覚化” と “観察力” が、あらゆるものの中に反映された 神聖なる法則と原理 や 絶対無限の存在 の 意志の喜び をみつけ、それを確信させる。
人間は誰でも、睡眠中は サイキカル界やノエティカル界 で活動し、肉体の死後はサイキカル界やノエティカル界で生活する。その事実を “体外離脱” と呼ぶこともできるが、意識のフォーカスレベルのシフト と捉えたほうがより適確で、応用範囲も広くなる。
千里の道も一歩から!
まずは、物質界において “意識的” に生きることから始めよう。“意識的” とは “本能的” や “潜在意識的” ではなく、“自己意識 的” に……ということ。人間の自己意識は、花子や太郎などの一時的パーソナリティーの属性ではなく、真実の自己(わたしはある=I am)の属性なのだ。
なにが真実か? 経験することによって学んでゆきたい。