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【ダスカロスの教えに学ぶ20】認識力、光、体外離脱(「真理の言葉」第10章より)
前回 ↓ に引き続き、今回も「真理の言葉」第10章を考察する。
物質界、サイキカル界、ノエティカル界における “認識力” の違いについて
分離の次元(3~5次元)の人間が神を “理解” することはできないが、神が 存在の世界 に有らしめた “表現”(現象や形態など)を “認識” することはできる。
さて、神とは何でしょうか? 神でないものとは何でしょうか? 神とは絶対存在 なのです。神を理解しようなどと考えることすら無理なことなのです。それは不可能なことです。あなたの肉体の目で太陽を見つめて光を捉えようとすれば、あなたの目は眩み障害を受けるかもしれません。あなたの物質的な脳を使って神を理解しようとするのは、このことと同じです。しかし、私たちは彼(Noel註:神)の表現を観察することができます。その表現を通じて、神が何であるかについてある程度まで知ることができるのです。
例をあげて説明しましょう。光を見ることはできません。私たちが光と呼んでいる波動を見ることはできないのです。しかし、その光線は物体の表面に当たり、輝かせ、反射して人間の目にイメージをもたらす能力を備えています。でも、光自体を見ることはできないのです。空を見上げれば、たくさんの星を見ることができるでしょう。これらの星の多くは自ら光を発し、他の星は光を反射させています。私たちが光を見ることができないのは明白です。宇宙で光を感知するためには、光がいわゆる天体に当たり、その光を反射させなくてはなりません。そうするとあなたはその星を見ることができ、光を見ることができるのです。太陽から放射された光がその星に到達するまでは、光を見ることはできません。しかし、光がその星の表面に当たると同時に、それは可視となります。神についても同じことが言え、無限性の範疇では捉えようがありません。しかし、宇宙において、それが物質的に存在する人間に到達すると捉えられるようになってきます。その人間の中に知性と 自己認識 として表現されているのです。
神は形がなく捉えようのない存在で、生まれることも死することもありませんが、実は私たちもそうなのです。あなたは今、重く粗い物質を持ち三重の鏡の構造を持つ存在で、物質形態とサイキカル物質(感情)とノエティカル物質(思考)から構成されています。それらは同じ鏡ですが、三つの面を持っています。それらがどれだけ歪めてあなたの形態を映し出しているかを想像してみて下さい。
私たちは形がないと言いました。それは形態の概念の中の無形態です。人間のイデア は無形態ではありません。肉体を除けば形態はなくなりますが、無形態ではありません。なぜなら、形態の概念が存在しているからです。これは法則であり、形の原因なのです。
「光源から放たれた光(波動)」および「何らかの物体に当たって反射した光(物体の波動)」は、人間がそれらを光として “認識” するまでは不可視である。その点については神が放射する 意志の喜び も同様であり、神を神として “認識” するのは “人間” なのだ。
物質界における人間の “認識力” はひじょうに限定的であるが、サイキカル界やノエティカル界 における “認識力” は制限が少なく、高度に拡張されたものとなる。さらに高次のノエティック・ステート(6次元)における “認識力” は、自己認識-魂 が持つ アチューンメント や アットワンメント(同化)へと進化する。
より高次のノエティック界(ノエティック・ステート)に行くと、私たちはより多くを理解することができます。しかし、それは知性や思考によるものではなく、同化(Noel註:アットワンメント)や エクスタシー によってもたらされます。絶対存在は宇宙の中へとらえ所のない聖霊を放射し、その聖霊がそのご意志に従って、“息を吹き” 広めます。聖霊が光に当る時、人間のイデア と出会います。この “出会う” とは何を意味するのでしょうか? これは、そのことが 神聖なる計画 の内にあることを意味しています。すなわち、これら宇宙の中には、人間のイデアとしての点が存在しているのです。この場合、光は人間のイデアである私たちを象徴しています。この時点から、この聖霊の一条の光は人、すなわち肉体を持った人間になるために前進していきます。しかし、まだ見ることはできず、とらえ所もありません。
その時点に到達する前に、一体どの位の人々が「魂-自己認識」としての自己について知っているのでしょうか? 平均的な人間は、魂が何であるかを知っているのでしょうか? 神について知っているのでしょうか? 私たちの真実の自己である神についてはどうでしょうか? その「魂-自己認識」は降下し、自身に 物質、サイキカル物質、ノエティカル物質、ノエティック素材、超素材 を身につけていきます。これら身につけるものは物質(Noel註:マインド、創造されたもの)です。
自己認識-魂 が物質界に降下する際、聖なる大天使たち が 永遠の原子 の周囲に 3つの体(ノエティカル体、サイキカル体、肉体)を創造してゆくのであるが……上述の通り、人間の3つの体が持つ “認識力” には違いがある。
私たちを取り囲む物質界を私たちの方法で、すなわち五官(Noel註:五感を生ずる五つの感覚器官。目・耳・鼻・舌・皮膚)を使って私たちは感受しています。肉体にある五官は、波動が低く鈍重な物質界と同じ領域の周波数で波動しています。しかし、私たちはこの肉体だけを持っているわけではありません。私たちには他にもサイキカル体、ノエティカル体、ノエティック体と呼ばれる体も持っています。
自己認識・自己 の中心として五官、物質的肉体、セックス、胃、物質的脳だけを持っている平均的な人間は、自分の周りの物事に関して制約された認識力しか有していません。そして、粗い周波数である物質だけに対応する1~10の領域を超えた波動を受け取ることができません。しかし、もし私たちが自己認識と意識(Noel註:注意力、観察力)を10~20の領域へ移行することができれば、私たちが感受するであろう波動が別の世界からのもので、物質界のものとはかなり異なることに気づくことでしょう。その世界をサイキカル界と呼んでいます。
物質界(3次元)、サイキカル界(4次元)、ノエティカル界(5次元)は周波数の異なるラジオ波のようなもので、人間の五感は物質界、感情はサイキカル界、思考はノエティカル界にチューニングされている。もっとも重たく波動の粗い物質界で発揮される五感は、サイキカル界やノエティカル界を感知できない。けれど、五感を超えた思考と感情という “認識力” にはそれができる。
例えば、目を閉じて「過去の出来事」を視覚化して(思い出して)いるとき、わたし達は 刷り込みエーテル や 感覚エーテル をそれと気づくことなく自然に使っている。そうやってサイキカル界やノエティカル界に、“認識力” をシフトさせているのだ。
また、誰もが睡眠中にみている夢は、サイキカル界やノエティカル界への 体外離脱(“認識力” の非物質界への完全シフト)である。
ジョージやマリー(Noel註:という 一時的パーソナリティー)は肉体の中で動き回ります。ある時間が経過すると疲れ、ほとんどの時間は夢も見ず眠ってしまいます。夢は存在していません。夢を見ていると感じている間、サイキカル界に入っているにすぎません。ただ、そのことに気づいてはいません。なぜなら、物事を区別することができず、すべてに対して混乱してしまい、これらの世界が現実の世界ではないと考えてしまうからです。
さてここで、ジョージやマリーについて考えてみましょう。彼らは印象を受け取る存在なのです。多くの場合、潜在意識 的に受け取っています。しかし、たとえ意識的な印象であっても、どれだけの人が五官を通さないで受け取っているのでしょうか? だから私たちがエクササイズを通して訓練していくと、もっと多くの印象や経験を受け取ることができることに気づくのです。
夢を積極的に思い出す練習は、「サイキカル体とノエティカル体の エーテル・ダブル」と「肉体のエーテル・ダブル」の橋渡しをする 刷り込みエーテル の発達を促す……が、覚醒状態で意図的に体外離脱するには、地道な努力とエクササイズが必要になってくる(注:過去世で秘教的なことを学んでいたひとは、生得的にこの能力を持っていることがある)。
サイキカル界とノエティカル界の構造、各次元における光
サイキカル界とノエティカル界の構造について考えてみよう。
サイキカル界は(Noel註:物質界よりも)もっと広大です。七つのプレーンがあり、一つのプレーンがさらに七つのサブ・プレーンに分かれ、合せて49の領域があります。どの位広いと思いますか? サイキカル界の一つのサブ・プレーンにある一点が全物質界に相当します。これらの世界に誰か住んでいるのでしょうか? もちろん住んでいます。人間より高次の知性を持った存在がいます。波動周波数が低い物質領域は、人の心を鈍くしてしまいます。
さて、次にノエティカル界があり、ここも同様に七つのプレーンがあり、さらに七つのサブ・プレーンに分かれ、合せて49の領域になります。これらはさらに大きく、豊かで、明るい世界です。
既に話したように、もし光が一点に当らなければ、それは感受されません。そのため、もし自己認識としての私たちがノエティック・ライトやノエティカル・ライト、そしてサイキカル・ライトに到達しなければ、私たちはサイキカル的な事象を知ることができないのです。
ノエティック・ライト、ノエティカル・ライト、サイキカル・ライト は、各次元における現象を創造する光であるが、それらを肉眼で捉えることはできない……というわけで、ダスカロスは誰でも認識可能な物質界の光から学ぶことを勧める。なぜなら物質界の光にも、絶対無限の存在 が放射する 意志の喜び が反映されているから……
物質界の光を学んでいくと、光が私たちに表現する印象を、私たちが受け取り見ることに気づきます。その光を注意深く調べていくと、それが私たち自身を創る力を備えていることに気づくでしょう。光を学ぶことなくして、それらを私たち自身のものとすることができるのでしょうか? それを学ばなければ、何事のマスターにもなれないことを私たちは知らなくてはなりません。
さて、空間の概念はサイキカル界において異なってきます。もし私たち自身の自己認識性をいわゆるサイキカル体に移行しなければ、言い換えるとサイキカル界を訪れるための体外離脱ということを行わなければ、私たちはどのようにしてサイキカル界を知ることができるのでしょうか?
物質界を見るのと同じように、私たちはサイキカル界もまた見ることができるのです。そして 物質界を支配する法則があるのと同じように、サイキカル界とノエティカル界にも法則があります。これらの世界は野放し状態ではなく、神聖な全なる智恵と全なる力の下におかれています。なぜなら、そこには動かされざる法則が存在しているからです。
“認識力” をコントロールし、肉体、肉体のエーテル・ダブル、サイキカル体、サイキカル体のエーテル・ダブル、ノエティカル体、ノエティカル体のエーテル・ダブルを意のままに操作できるようになれば、自己意識を保った状態で 体外離脱 できるようになる(わたしはまだ無理ですか^^;)。
体外離脱について
ダスカロスは “自己”意識 を保って、自在に体外離脱することができた。が、ごく一般的なひと(ヤコブの梯子 における第4段階のひと)がそのレベルに達するには、一度や二度の転生では難しい、、、ともかく、まずは物質界で意識的に生きることが先決で、それができなければ非物質界でも地上と同様に潜在意識的に生きることになる。
真理の探究者であっても、この物質界で意識的に生きていなければ、彼らに意識の拡大や体外離脱の方法、あるいはサイキカル界で意識的に生きる方法を求めることはできません。彼らもまた、物質界の他のほとんどの人々と同じような不健康で取るに足らない生き方をしているのです。
例えば、私と一緒に散歩に行くとしましょう。あなたは多くの人や店や木々などを目にすることで、いろいろな形やイメージを目にすることになります。これは光があなたの網膜に像を写し、その光情報が視覚神経を介して物質的脳の視覚野に刺激を与えます。散歩の後に、私はあなたに見たものを尋ねます。あなたが受け取った印象のたとえ100分の1でも、あなたは説明できると思いますか?
あなたは関心をもったある程度のものを話すことはできるでしょう。しかし、実際あなたは何千もの波動を受け取っていて、それらはあなたの潜在意識にすべて刷り込まれています。たとえ潜在意識的でも、あなたが見た全ては潜在意識に刷り込まれるのです。
物事を刷り込む手段とは何でしょうか? 考えを一歩前進させましょう。物質的な光は、サイキカル・ライトとノエティカル・ライトの両方を含んでいます。意識に刷り込むことは、物質的な光によってではなくサイキカル・ライトとノエティカル・ライトによって刷り込まれます。それらが意識にイメージを残してくれるのです。
あなたは自分のパーソナリティーがあなたの経験と印象の総合計以外の何ものでもないことを知っています。しかし、あなたはこれらの総合計だけではなく、何か別のものなのです。あなたはこれらの情報を翻訳したり、あるいは誤訳したりしている存在なのです。また、あなたは知っていても、今はこれらの物事に魅了され夢中になってしまっているその存在なのです。
しかしいつか、あなたは自分の経験や印象を認め感謝できるようになり、あなたはそれらとあなた自身をマスターし操縦できるようになります。真理の探究者の目的は “自己実現” に到達することです。これは真実の 内なる自己 を見出すことを意味しています。
光(波動)が創り出すエーテルの性質は、すべての次元において共通する。なので、まずはもっとも身近にある肉体の 感覚エーテル、運動エーテル、刷り込みエーテル を感知し、それらを意識的に使う練習をしてゆく。すると徐々に、サイキカル体やノエティカル体の エーテル・ダブル とコンタクトできるようになる。
私たちが体外離脱の練習を行う時にこのこと(Noel註:人間が全能なる神の子であること)を発見するでしょう。今私たちはこのことを思考、すなわち論理的説明として受け取ります。しかし、真実において私たちが誰であるかを理解するために、私たちは体外離脱により肉体の外へ出て行かなくてはなりません。そうすれば、私たち自身がサイキカル体の中に存在していることに気づき、サイキカル体としての力を得ることになります。それは肉体の力と比較すればほとんど無限の力に感じることでしょう。
私たちがサイキカル体を離れると、次にノエティカル体にいることに気づくでしょう。さらにノエティカル体から出て行くと、私たちはノエティック・ステートにいることに気づくことでしょう。科学者はこの世界を スーパーライト と呼んでいますが、私たちは消滅することのない光[メンタル・ライト]と呼んでいます。この世界に入ると、ノエティック・ステートの 超素材 と呼ばれている鏡に映る自分が誰であるかに気づきます。そこにはジョージやマリーとしては見えません。この点に注意して下さい。あなたは物質としてのジョージやマリーを見ることはありませんが、何世紀もの間ジョージやマリーを特徴付けてきた原型や波動やトーンとして把握することができます。スーパー・ノエティック・ステートで彼らを知っていた人は、彼らを分かることでしょう。ジョージやマリーとしてでしょうか? もしある人が彼らをジョージやマリーとして知っていれば、彼らを確認できるでしょう。もしある人が彼らを知らなくても、充分に発達していれば、その人は彼らの自己認識からジョージやマリーのすべての人生を瞬間的に知ることができます。今回の転生だけについてでしょうか? いいえ、その人は同時に彼らのすべての転生について知ることになります。
ノエティック・ステート(6次元)への体外離脱は、ダスカロスのように “自己”意識 を完全に覚醒させていることが必須条件である……が、それがひじょうに難しいことであるのは、じっさいに試みてみればわかる。
体外離脱では、じぶんの感情と思考の振動数と同等の領域にシフトする。
「高次の領域」を探索するには、思考(ノエティカル体)によって感情(サイキカル体)と肉体を完全に制御できるようにならなくてはいけない。事実として 思考 > 感情 > 肉体 であり、思考は「分離の次元」におけるもっとも有力な “認識力” であるが、それは「分離の次元」という鏡に映し出された “自己” の鏡像に過ぎない。3つの体を完全に制御し得るのは「非分離の次元」にある “自己認識-魂 としての自己” であり、“真理の探究者” が体外離脱を試みるのは、肉体、感情、思考を超えたところにある “ほんとうのじぶん” に目覚めるため……という自覚をしっかり持っておこう。
体外離脱の目的は、真の 自己実現 にある。
そのへんをはき違えて、体外離脱をエゴイスティックな欲望を満たすために誤用すると、負の カルマ を背負うことになる、、、なので、もろもろ自戒をお願いいたします ( `・∀・´)ノヨロシク