前回 ↓ に引き続き、今回も「真理の言葉」第10章を考察する。
物質界、サイキカル界、ノエティカル界における “認識力” の違いについて
分離の次元(3~5次元)の人間が神を “理解” することはできないが、神が 存在の世界 に有らしめた “表現”(現象や形態など)を “認識” することはできる。
「光源から放たれた光(波動)」および「何らかの物体に当たって反射した光(物体の波動)」は、人間がそれらを光として “認識” するまでは不可視である。その点については神が放射する 意志の喜び も同様であり、神を神として “認識” するのは “人間” なのだ。
物質界における人間の “認識力” はひじょうに限定的であるが、サイキカル界やノエティカル界 における “認識力” は制限が少なく、高度に拡張されたものとなる。さらに高次のノエティック・ステート(6次元)における “認識力” は、自己認識-魂 が持つ アチューンメント や アットワンメント(同化)へと進化する。
自己認識-魂 が物質界に降下する際、聖なる大天使たち が 永遠の原子 の周囲に 3つの体(ノエティカル体、サイキカル体、肉体)を創造してゆくのであるが……上述の通り、人間の3つの体が持つ “認識力” には違いがある。
物質界(3次元)、サイキカル界(4次元)、ノエティカル界(5次元)は周波数の異なるラジオ波のようなもので、人間の五感は物質界、感情はサイキカル界、思考はノエティカル界にチューニングされている。もっとも重たく波動の粗い物質界で発揮される五感は、サイキカル界やノエティカル界を感知できない。けれど、五感を超えた思考と感情という “認識力” にはそれができる。
例えば、目を閉じて「過去の出来事」を視覚化して(思い出して)いるとき、わたし達は 刷り込みエーテル や 感覚エーテル をそれと気づくことなく自然に使っている。そうやってサイキカル界やノエティカル界に、“認識力” をシフトさせているのだ。
また、誰もが睡眠中にみている夢は、サイキカル界やノエティカル界への 体外離脱(“認識力” の非物質界への完全シフト)である。
夢を積極的に思い出す練習は、「サイキカル体とノエティカル体の エーテル・ダブル」と「肉体のエーテル・ダブル」の橋渡しをする 刷り込みエーテル の発達を促す……が、覚醒状態で意図的に体外離脱するには、地道な努力とエクササイズが必要になってくる(注:過去世で秘教的なことを学んでいたひとは、生得的にこの能力を持っていることがある)。
サイキカル界とノエティカル界の構造、各次元における光
サイキカル界とノエティカル界の構造について考えてみよう。
ノエティック・ライト、ノエティカル・ライト、サイキカル・ライト は、各次元における現象を創造する光であるが、それらを肉眼で捉えることはできない……というわけで、ダスカロスは誰でも認識可能な物質界の光から学ぶことを勧める。なぜなら物質界の光にも、絶対無限の存在 が放射する 意志の喜び が反映されているから……
“認識力” をコントロールし、肉体、肉体のエーテル・ダブル、サイキカル体、サイキカル体のエーテル・ダブル、ノエティカル体、ノエティカル体のエーテル・ダブルを意のままに操作できるようになれば、自己意識を保った状態で 体外離脱 できるようになる(わたしはまだ無理ですか^^;)。
体外離脱について
ダスカロスは “自己”意識 を保って、自在に体外離脱することができた。が、ごく一般的なひと(ヤコブの梯子 における第4段階のひと)がそのレベルに達するには、一度や二度の転生では難しい、、、ともかく、まずは物質界で意識的に生きることが先決で、それができなければ非物質界でも地上と同様に潜在意識的に生きることになる。
光(波動)が創り出すエーテルの性質は、すべての次元において共通する。なので、まずはもっとも身近にある肉体の 感覚エーテル、運動エーテル、刷り込みエーテル を感知し、それらを意識的に使う練習をしてゆく。すると徐々に、サイキカル体やノエティカル体の エーテル・ダブル とコンタクトできるようになる。
ノエティック・ステート(6次元)への体外離脱は、ダスカロスのように “自己”意識 を完全に覚醒させていることが必須条件である……が、それがひじょうに難しいことであるのは、じっさいに試みてみればわかる。
体外離脱では、じぶんの感情と思考の振動数と同等の領域にシフトする。
「高次の領域」を探索するには、思考(ノエティカル体)によって感情(サイキカル体)と肉体を完全に制御できるようにならなくてはいけない。事実として 思考 > 感情 > 肉体 であり、思考は「分離の次元」におけるもっとも有力な “認識力” であるが、それは「分離の次元」という鏡に映し出された “自己” の鏡像に過ぎない。3つの体を完全に制御し得るのは「非分離の次元」にある “自己認識-魂 としての自己” であり、“真理の探究者” が体外離脱を試みるのは、肉体、感情、思考を超えたところにある “ほんとうのじぶん” に目覚めるため……という自覚をしっかり持っておこう。
体外離脱の目的は、真の 自己実現 にある。
そのへんをはき違えて、体外離脱をエゴイスティックな欲望を満たすために誤用すると、負の カルマ を背負うことになる、、、なので、もろもろ自戒をお願いいたします ( `・∀・´)ノヨロシク