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自己否定をやめたかった
昨日の記事と似てるんだけど、
昨日は自分責めについて書きましたが、
責めるということは、
責任がとれるはずなのになぜ!
という隠された心理が働いていると
いいました。
そして、自分に課している責任ハードルを
いちど客観的にみて、レベルを下げていくことを
提案してます。
なぜこんな記事になったかというと、
やめるのが難しかったからです。
やめようとか、褒めようとしても、
もう無作為に習慣化してしまってるので、
出てしまうものは出して、
整理してやろうって
思ったわけです。
で、今日は自己否定なんだけど、
なんて自分はだめなんだろう、
ほんとコミュ力もないし
頭も悪いし、
かといって自分を生きてる感じもない、
なんもできない人間だー
なんでこんななんだーー
と絶賛全否定してしまう、という
悪しき風習がわたしにはありました😂
すごく惨めな気持ちになるような
情けなくなるような。
メンタル指数の低いところにある
自分を恥と思う気持ち、くらいのものでした。
でもね、
まず最初に思うのは、
どうでもいいことには惨めにならないよね
っていうことがあります。
わたしはあまり、運動神経の悪さとか
リーダーシップ性についてとかは
惨めになったことがないですね。
お金がないのも平気です。
スタイルもよくなりたいけど惨めになるほどではないんですよね。
逆に、気になるのは
人とうまく付き合えないこととか、
個性がないこととか、
なんか当たり障りのない人間なことかな。
意見が言えない気弱さとか。
そういうことができないと、
ううー、、こんな自分、ほんと、
なんなんや、、、🤮
てなるわけですよ。
これって
「惨め」という形で
本当はこうしたい!の
サインを送ってるんじゃないかなー!
とも思うわけです。
だから、惨めになったら
本音を引き出すちゃーんす!てわけです。
で、自己否定にも
いろいろあって、
BEの否定、
DOの否定、
に分けてもらいたいんです。
何かあったときに、
「こんなわたしじゃだめだ、、」
「わたしなんてほんと価値ないわ、、、」
っていうのがBEの否定なんだけど、
BEって本当は否定できないものなんです。
だって、存在を否定するって
事実無根じゃないですか。
わたしはここにいてはいけない人間なんだわ、
生きてる価値ないわ
とかいっても、
存在してるわけだし、
そこにいるんですよね。
それは、本人も誰にも
否定しようがない。
いないほうがマシと
思うのは、
周りのせいで、
特に母親の影響は大きく、
不幸そうな母の顔ほど
自分がいないほうがよかったと思わせる
ものはないそうです。
が、、、
やっぱりそれは本来
母親なり、その周りの人間の問題であり、
あなたの存在とはまぁ、
関係ないのですよ。。
だけど、ね、
そんな顔してたらさ、
自分をつくった神様が苦しんでたら、
世界はそうなんだとも思っちゃうわけで。
でも、ほんとはそれが
とても悲しかった。って
ことで、
ここは理屈よりも、ヒーリングが必要なんですけど、、
そのヒーリングを少しずつやっていくことを
経てからの話なんだけど、
BE否定は「悩んでれば向き合わなくていい」ができる「悩みゴト」で、
苦しんでいるから許してください、
こんなに辛いからこれ以上できませんの、
釈明になってしまうのです。
ここからは、
DOをきちんと否定することなんで、
ヒーリングでBEを肯定する体感ができたら、
DOは最も簡単に否定できます。
今回やり方ちごたわ!って
次はこうしてみるわ!って
話なので。
DOに対する自己否定はむしろ
できる人のほうが強くて。
わたしが間違ってました。
わたしの考えがいたりませんでした。
私が狭い視野でやってました。
私の言動は建設的ではありませんでした。
ってちゃんと否定できるためには、
BEは肯定されている必要があるわけです。
BEが肯定できない人は
不安なので、
プライドを振り翳したり、
被害者でいることを
選んでしまうだけなんで、、
BEの肯定は
本当は感じてることを
感じきるところから
かな、、
ということで、
自己否定との付き合い方でした