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Tagebuch in Münster 3

17日からの振り返り。
この日からは引きこもりの日々になってしまった。
前回までとは打って変わっての内容になってしまうことを先に謝っておきます。


8月17日 画材屋さんの中にコーヒーメーカー?

ミュンスターの画材屋さんに遊びに行ってきた。
日本では見慣れない規格のキャンパスがたくさんあった。というかキャンパスの種類が豊富。
とにかく広い。世界堂が縦に広くなっているのに対して、ここは横に広がっている。

画材がたくさん。

こういう素材が集まるところっていうのは、昔からテンションがあがってしまい、パートナーとがんがんに盛り上がっていたら、後ろで
「ふっ」との笑い声が聞こえた。
日本語で会話をしていて、店内には日本人はいなかったはずなので、驚いて振り返ってしまった。そしたら、1人の女性が
「すみません」
と謝ってきた。その一言で、この人は日本語が堪能な方だとわかり、思わずものすごく話しかけてしまった。忙しそうにものを探していたので、ゆっくりと立ち話はできなかったが、去る時に
「また、必ず会いましょう!」
とだけ、言って、彼女を見送った。
油断はできない。
ほとんど日本人に会うことがない町だけれども、こういう日本に長くいた経験のある人もいるのかと、学んだ。
さて、ものすごく楽しんでいると、普通の画材屋、というか日本のお店では見かけることのないものがあった。

机と、コーヒーメーカー。また違うところにはウォーターサーバーも。
くつろげるスペース

ウォーターサーバーと、コーヒーメーカーだ。
この二つ、無料。しかもコーヒーメーカーの近くには、売り物ではない椅子と机がある。その近くには本コーナー。ここで本を読んでくれと言わんばかりの配置である。もれなく座った。座って、飲んで、ゆったりとした。
本棚にも興味があり、散策した。漫画の書き方の本がたくさんあった。本屋の近くで少年がワンピースを読んでいたのを思い出した。漫画好きが多いのかな。
本棚を漁っていると、みんな大好き「大図鑑」シリーズがあった

ドイツ語版の大図鑑シリーズ

哲学や文学、社会学にフェミニズムなど、その種類は豊富。
全部ほしくなるぐらい魅力的な並びだ。
哲学は既に持っている(日本語のだが)が、ドイツ語版も読んでみたい。
散々悩み、購入したのがこちら。

概要書です。画質が・・・。

自分の分野のものだと読みやすいかと思って買ってみました。
少しずつ読み進めていきます。

まだ演劇の本とは出会えていないな。
本屋に行ってみよう。

8月18日 ハレの日

ごろごろ引きこもり。
けれども、お祭りがやっているから、という理由で街中へ。
18日〜20日までの3日間、街中ではお祭りが開催されていた。
いたるところにステージがあり、そこではバンド演奏が行われていた。
地元の人たちなのか、プロなのかはわからなかったが、年齢関係なく盛り上がっていた。

ステージ演奏の場。こういうステージが何箇所もあった。
子ども大人も沸かしていた

大道芸にも出会った。
それにしてもよく喋る大道芸だ。
日本の大道芸とも似ていた。
音楽や空気感に合わせて、喋りのスピードを調整している。演出されている。二人組パフォーマンスだったが、この2人の掛け合いのテンポの良さはすごかった。観客を巻き込む、という意識は特にない。観客に楽しんでもらう、という意識はあれど、それ以上に、共に楽しむ、という感覚があるような気がする。
楽しんでもらうための策だけに興じない。パフォーマンス自体がすごいのはわかるんだけど、それよりも、楽しんでいいよ、ついてきてもいいよ、という手の差し伸べ方が美しい。
これは、尊敬する知念大地さんにも感じていることだ。
そして、自分がパフォーマンスをする時に、いつもやろうとしていることだ。それを稽古を積んだ状態でできる。悔しいが、それはまだできない。稽古を積んでしまうと、それができない。アプローチなのか、心構えなのか、練度なのか。
パフォーマンスが終わると、すっと人たちが去っていく。
しかし、その終わりかたがきれいだ。
特別すぎる何かが終わったわけではないが、
間違いなく特別な時間が終わった。生活は終わらない。
これは生活の一部なのだ。
本屋に寄って、本を選ぶのとおなじように、
スーパーに行って、食材を選ぶのと同じように。
まつりの中のイベントは、その生活の中の一部になっている。
そこに飛び込むのも自由、飛び込まないのも自由。

ハレとケが日本ほどはっきりと区別されていない。分断が起こっていない。
このことについてはもう少し考えた方がよさそうだ。

ネタとして、自分の中に取り込んでおこう。

クレープとアイスを食べ、この日は家へと戻る。

佐藤とレモンのクレープ
シンプルなバニラアイスクリーム
コーンの部分は日本のもののほうが美味しい

8月19日 WGの内見へ

この日は夕方からWG(flat room)の内見だった。
なんとか今住んでいるところに来年まで住みたいと思っていたが、予約してしまったからいかねば。内見の経験を積むためにも、他国の人との交流のためにも、重い腰を起こして行ってきた。

結果から言うと。すごくいい人たちばかりだった。
丁寧な部屋の説明。いろんな部屋があった。
生活を謳歌するのに、パブリックとプライベートのバランスを取っているようだ。

部屋数が多いが、家の狭さを感じさせない。天井が高く、圧迫感がない。
リビングは人と人とが交流する場。今日はわざわざピザパーティーを開いてくれた、と思ったら、そうではなくて、週に一回はこういうことをしているらしい。

議論が好きな人たちが多かった。それぞれがいろんな出自を持っていて(国籍も違えば、職業も違う)、その人たちがとにかく喋る。
しかも、お互いの話にきちんと耳を傾けて。ただ、それは議論に真正面から参加する意思を持っている人間に関しては、な気がする。そこも自由だ。
議論と言ったって、何も難しい話ばかりをしているわけではない。
なぜ海外に長期滞在をした方がいいか。こういう態度は失礼じゃないか、など日常感じた個人的なこともリビングという広場では共有される。
全員が全員同じ姿勢ではない。少し感情的になったとしても、すぐに理性的に戻る。その感情すらお互いに認め合う。
そして、グループ分けがほとんどされない。

僕は6名以上での食事会が苦手だ。
コミュニケーション能力の低さも相まって、人と話すこと自体億劫になってしまう。お酒の力を借りても、ダメな時はある。最近も、逃げ出してしまったことがあった。

しかし、今回はそんなことはなかった。
もちろん迎え入れられているということもあるけれども、この人たちにとって議論はわりと日常なのだ。誰かが優位性を持つことのない対話の場が設けられる。もちろん、それもいろんな形もあって、必ずしも今回のような、僕としては居心地がいい場だけとは限らない。
今回の場は、僕にとって居心地が良かった。英語で交わされていく議論だし、ほとんど話はできなかったけれども、話したいことは浮かんでいた。普段だったら、頭が真っ白になって、もうこの場から逃げ出したい、と思うのだけれども、今回はこのままずっと居てしまうな、と思った。

たぶん多様性が享受されているか、いないか、その違いな気がする。
日本の場だと、ある特定のことしか話し合うことがない。
日常も政治も地続きだということ。
演劇の話だけしたいんじゃないんだよな、といつも思う。
芸術の話だけがしたいんじゃないんだよな、といつも思う。
もっと、アニメの話も、草花の話も、景色の話も、ご飯の話も、誰かが誰かに諂うことなく、そこにいるその場にいる人たちが落ち着いて、なんでも話し合っていい場が、ほしいんだよな、と思う。それが突然発生する。そんな場がほしい。
演劇に身をおいているから、演劇の話ばかりになるけれども、そこに居た人たちは、数学者、経営者、インターンシップ生、会社勤めの人、我々だ。

「今日は暑いね。」
「ああ、きっと暑くなるだろう。」
「でも、予報だと雨になるっぽいよ。」
「信じられないな、天気予報は」

こういう会話は中身がない、と誰かが言っていた。
どこが無駄なんだろうか。中身がないだろうか。
暑いという感覚は、実は当たり前のようであって、人と人では感覚が違う。
僕はそう感じる。僕は人より暑さに敏感だと思う。逆に寒さに対しての耐性はある程度ある。そういったことに気がつける会話じゃないか。
相手がどう感じているか、自分と同じではない。
相手の感覚を確かめる瞬間にもなる。
こういう小さな会話が減ってきているから、議論や対話が生まれないのではないか。
中身がないのは会話じゃない。こういうのを排除したがる、人の方だ。
僕にはそう思える。

言語の壁は厚い。議論に僕が参加していたかというと微妙だった。それでも、「居てもいい場所」は「自分がそこに居れ」ば、それで成立する。今度から6名以上の食事会でも、「居る」ならば「そこに居る」に自覚的になってみよう。そうしたら、なんとなく自分の場所になる気がする。

WGの人たちは、借りるにせよ借りないにせよ、遊びにきてほしいと言われた。文化の交流、人の交流。日本人という存在は、ミュンスターにおいては希少価値が高いのかもしれない。そしてそれを求めてくれる人も、また希少価値が高い。
大切にしたいつながりができた。この人たちから学ぶことが多かった。
気がついたら3時間近くもいてしまった。
3時間近くもはじめましての場所にいて、居心地がいいと思ったのは初めてだ。僕の感覚は閉じ切っていたのかもしれない。いままでの存在の仕方が間違っていたのかもしれない。それに気づかせてもらえた。

8月20日 劇場 theater

別記事を作ろう。
とにかく歩いた。ミュンスター内の劇場を巡ってみた。まだまだめぐり足りない。

8月21日 引きこもり その1

この日は食材の買い物以外には出掛けていない。
1人で出歩くことが少なくなってしまったからか、臆病になっている。
家でせっせとドイツ語の勉強をやる。
ドイツ語での話し相手がいないから、ひたすら教材のドラマを見て、1人勉強している。
日本から連絡があった。
福井で出会った知り合いが、西会津に行くとのことだ。
早速いろんな手配をする。
僕がアテンドできればよかったのだが、そうもいかないので、事前に根回し。たぶんこの人たちに会えば、西会津でいろんな人で繋がるだろう、という人選をしてみた。

西会津には今、ミュンスター在住のアーティストが滞在しているとのこと。その方と繋げてくれようと、声かけをしてくれた友人からも連絡があった。
こういう人と人とをきちんと繋げてくれる人が、大事。
アテンダーって、某YouTuberの一件があって、あんまりいい印象が世間にはなさそうだけど、本当に素晴らしいアテンダーってのはいるもんだ。ちなみに、その友人が、僕と野らぼうを繋げてくれた。彼には感謝しかない。「どんぐりと山猫」の英訳本も見送りの品としてもらった。こっちに持ってきているし、やれるならこっちでもやりたい。英語版「どんぐりと山猫」。どうなるかな。記憶が薄れないうちに、公演のまとめをしなくては。

8月22日 引きこもり その2

この日は、ちょっと奮発して、分厚い肉を買い、喰らった。
肉肉しい肉を食べたのはいつぶりだろうか。
心も胸も躍った。
時折、こういった贅沢は必要だ。生きるためにも。
これもまさに、ハレだと思う。潜んでいる。

8月23日 引きこもり その3

もっと本を読もう。必要だと感じたから、読み始める。
知識マウントをしてくる人たちが多かったから、本を読むことをためらっていたのだが、自分には知識や考え方の摂取が不足している。
食事の栄養もそうだが、知識の栄養も枯れている。
少しでも稼ぎを、と思いちょっと前から副業をしている。
内容はあまり言えないが、物書きの手伝いだ。というか台本作りみたいなもの。そんなに大変ではないし、元々のプロットがあるから、そこから立ち上げていくだけ。原作ありの芝居ばかり作っているから、プロットがあれば意外とできるかもしれないと思い、はじめてみたら、これが思いのほか楽しい。そして物書きの人たちの凄さもわかる。僕にはやはり向かない。
さあ、明日から芝居を見る生活が始まる。9月からは劇場も動き出す。


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