中国深センの自宅に帰れないまま100日経過した心情変化
温暖な気候であまり咲かなかった今年の桜。それでもやっぱり綺麗で、近所を散歩しながらずっとながめていた。
2020年3月28日、いきなりビザ無期限停止。
その3日後の上海便を予約していたのに、中国の自宅に帰るという望みはブツリと絶たれた。
それから、家に帰れない終わりのない日々が始まった。
3月と4月はつらくてつらくて、毎日泣いてた。
あと1週間早い飛行機にしていれば
そもそも2月に日本に一時帰国しなければ
あのまま婚約者ヤンくんと一緒にいたら、こんなに長いあいだ離れ離れになることもなかったのに。
考えてもどうしようもない「たられば」が頭の中で高速回転してやまない。
中国国内に留まっていた友人や、ビザが停止になる直前に日本から中国にもどった友人は2週間の隔離を経て、それぞれ元通りの生活を送っているのに。
私も予約した飛行機に乗って、中国に戻りたかったよ。
元通りの生活の一員として暮らしたかった。
それでも、すぐに中国に戻る決意をせずに手遅れになったのは、意外だけど真面目でビビリな一面が出てきてしまったから。
いきなりリモートワーク
3月28日のビザ停止より前に中国に戻らなかったのは、職場の指示に従ったから。
職場には30人くらいの外国人スタッフが所属していて、私のように日本やアジア諸国そして北米やEUなど世界中から集まっている。
年末年始はおよそ2ヶ月の長期休暇期間で、半分以上の外国人スタッフが深センを離れていた。
Wechat のグループチャットで何度も「中国にもどってこないで。それぞれの自宅で待機していて」と海外事業の担当者から言われていた。だからきちんと守っていた。
仕事は好きだし収入は確保するものだし、意外と真面目でビビりな、自分も知らない自分がここではっきりあらわれた。指示には従うものだと。2月はじっとおとなしくしていた。中国国内での感染拡大が猛威を振るっていたこの頃。
それから3月になって、日々変化する情勢や、日本から中国に戻る友人たちからの知らせがあって、私も中国に戻りたい気持ちが強くなった。
中国に戻らず自宅待機を継続という指示があったにも関わらず、上海便を予約したのは「家に帰りたい。リモートワークの準備が足りなくて仕事ができない。家に帰れば資料が十分にそろっているから」というアプローチで猛烈に説得して許可をもらったから。
それでも手遅れだった。
職場の指示に従って自宅でじっとしていた結果、中国に戻るチャンスを失った。
なんでうちの職場は外国人スタッフにあんなに強く「中国に戻ってこないで」と言っていたんだろう。最初の頃は中国国内での感染が拡大していたから、外国人スタッフの安否を気遣っているんだろうか、と予想していた。
それから中国国内での感染拡大が一段落すると、日本やアメリカ、ヨーロッパの各国で爆発的に感染者が増えた。外国人が中国国内にウイルスを再度持ち込むことを危険視したのか。真相は分からないし、聞いてもムダだろう。
もっと早く交渉すればよかった。いっそ仕事なんてどうでもいいから私は家に帰ると振り切っていたら。
真面目でビビリな自分の性格を呪って、職場の指示を恨みまくって泣いた。
朝起きるとまず涙があふれて、夜寝ようとするとまた涙が出てくる。
このまま止まらないんじゃないかと思った。
起きて泣いて、また寝て泣いて、家から一歩も出ない生活がしばらく続けたら、少しずつ頭と体が回復してくる感覚があった。ああ、きっと私は大丈夫なんだと感じた。
その後、職場の決定による通知があり、いきなりリモートワークが始まった。
日本語教師のオンライン授業
日本語教師である私のリモートワークは日本語のオンライン授業。1日3時間程度、日本語の授業をすればその日の業務は終了、内容や進捗状況をチェックされることもない。
ものすごく自由にやらせてもらえてありがたかった。画面共有モードで自分のパソコンに表示させたスライドを説明する形式なので、きちんとした服装もメイクも不要で、授業開始5分前に起きて声だけ元気よく授業をすることもあった。
これがめちゃくちゃ快適なことったらもう。
通勤時間がなくなり、着ていく服を考えるエネルギーもメイクの仕上がりを気にすることもなくなった。これで給料は支給されている。中国の銀行口座に入金されたら、日本のコンビニATMで日本円を直接おろすことができる。手数料は5%以下なので、外貨両替より手間がなく両替レートもいい。
せめて少しでも「日本語おもしろい」と思ってもらえるオンライン授業にしたいと、メイク代と洋服代が浮いた費用で新しいテキストを買い込んで授業計画を立てた。
私と同じように突然のオンライン授業をせまられた日本語教師はたくさんいるらしく、オンライン授業のための勉強会に参加したり、自分でも開催したりした。
教師という職業を好んで選ぶ人は古風なタイプが多い。教室で教科書とノートを準備して、自作のプリントを宿題にする。
でもこの大きなオンライン化の波には、そのどれもマッチしない。
教科書もノートもプリントもほとんど縦型で、パソコン画面は横型だ。まずそこから発想の転換が必要だし、教室での対面授業とは違いオンライン授業ではスライド共有で音声のみで学生も教師もお互いの顔が見えないことも多い。学生の反応がなかったり、見えなかったりすると教師は不安になる。
教室での授業に戻りたい、オンライン授業はもう嫌だと嘆く教師が多いことだろう。でもこれは時代の流れであり変化だ。
好き嫌いではなく、オンライン授業ができない教師は間違いなく淘汰される。逆に、各種システムを上手く使いこなしてオンライン授業が得意だとアピールできる教師は重宝される。
変化に適応して生き残りたい
どれくらい続いていたのだろう、教室と黒板と教師と学生で構成されていた教育スタイルが、2020年でやっと新しい時代を迎えている。
オンライン授業でリモートワークができるようになれば、中国にいてもいなくても、もしもいつかフリーランスになっても、私はどこでも仕事ができる。
あのまま中国へ戻っていたら、通勤ラッシュや教室移動、ルーティンと化していた教科書とプリントでの授業が続いていくだけだった。
中国へ戻ってこないでと指示を出した職場は、きちんと仕事も給料も供給してくれている。
新しい機会と快適な環境を提供してくれているこの仕事が突然始まって、100日が経過した。
100日前は、後悔とか呪いとか恨みとかにまみれてもがいて苦しんでいたけど、そういう負の感情は時間がゆっくり解決してくれた。
後悔してもどうしようもない。あの時、いきなり帰れなくなる未来なんて誰も予想してなかった。過去は変えられないし、未来はわからない。
それよりも、ずっと走り続けるしかなかった日々の暮らしを突然ピタッと足止めされて、忙しいと言い訳してほったらかしにしていたアレコレをひとつひとつ精査して仕分けする自由な時間を与えられた現在にフォーカスしよう。
中国の自宅に帰れる or 帰れない、の二択にしたら後者だ。だけど見方を変えたら、どこでも仕事ができてお給料がもらえて、快適な日本で暮らせる現状はめちゃくちゃ贅沢なんじゃないのって思えるようになった。
この帰宅できない100日が、これからあと何日更新されるのか誰にもわからない。だから今は、できないことよりできることをひとつでも多く探して見つけて、明るくしぶとく生きてやろう。
100日前のあの時に、泣きっぱなしで心も体も壊さなくてよかった。生きててよかった。