”人に迷惑をかけないように”神経質な母親と私のIBSの相関。
昨日IBS placeのharuさんとお話しする機会があったのですが、その会話の中で「インドってIBSの人少ないらしいんですよ〜」という話を聞いた。
インドと聞いてふと頭に浮かんだのは、インドの子供に対するアプローチ。
日本では子供に対して『人に迷惑をかけてはいけません』と教えますが、インドでは『人に迷惑をかけてもいい』と教えるそうです。
その理由については諸説あるようですが、確かに娘のプリスクールにもインド人の方たちがいらっしゃいますが、日本人ほど他人への影響について神経質ではないように感じます。
そんなことを考えていたら、自分の親はどうだっただろう?と母親について思いを巡らすようになりました。
「絶対飛び込み自殺はしちゃダメよ。すごいお金がかかるから(社会にはもちろん親である自分にも迷惑がかかるから)」
そんなことを言われて育ったことを記憶しています。
確かに私の母親は、子供が迷惑をかけて問題が発生したり、被害を被ったりすることを極端に恐れる人だったと思う。
だから執拗に「人(親である自分を含む)に迷惑をかけないで」と私に忠告をしていました。
さらに問題が起きないように、先回りをする人でもありました。
小学生の時なんか「私を守るように」とクラスメイトの男の子に口添えをすることもありました。
子供ながらにモヤモヤしたことを覚えていますが、極端に問題を恐れる姿勢が母親にあったのは明確でした。
先ほど、愛知教育大が出した「過敏性腸症候群(IBS)のリスクファクターについて」という論文に目を通したところ、
という結論付けがされていた。
わぁ!まさに私の母親のことだ!と合点がいきました。
人に迷惑をかけない生き方には、限界があるし、とにかく息苦しい。
でもそう教えられてきたから、授業中「トイレに行きたい」と手を上げることすらできなかった。
場を乱すくらいなら、自分を抑えた方がいい。
そうやって私は自分をずっと抑えてきました。
だから私はIBSを必要としたし、IBSにならざるを得なかったのです。
抑圧した感情のはけ口を、私の身体はずっと探していて、ついに見つけた出口がIBSによるガスや下痢だったというわけです。
前述した論文にもこんな一文がありました。
自分の中で消化できなかった思いが、IBSになって外に排出される。
『IBSは私のために働いてくれていたのだ』IBSが治った今、心底そう思います。
人に迷惑をかけてはいけないという固定概念。それによって縛られていた自分を解放してあげる。
その一歩が、IBSのない世界へと進ませてくれるのです。
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