雨の中の赤い花の絵
子供が五歳くらいに描いた
ありがとうっていう絵
私の
存在を
雨にうたれて咲いている
ごく小さな野の花として描いてて
自分の姿は
大きくて傘もさしてて
花を見てる感じ
花は
赤くて
雨の中で
少し
光って嬉しそうに見える
その咲いてる感じに
いつもありがとう
って書いてあって
当時
体もこころも
ぎりぎりだけれど
お母さんの仕事だけは
這うようにしてて
それが喜びだったから
ちゃんと
必死に存在してたのが
伝わってたんだなって
私のエネルギーの
大きさまで
ちゃんと感じてたんだなって
思った
幻想の
お母さんでなく
うちの子が
わたしそのものと出会って
ありがとうって書けるんだな
小さく一人の人間として
五歳は完成するんだなって
思った瞬間だった
お父さんには
大きな木と小さな動物たち
樹の下で守られて
にぎやかな動物たちの喜びのような
エネルギーを
感じてるんだなって
思えた
樹の近くで
微笑んで
ありがとうって書いてあった
私が調子悪くても
ありのままの
それなりのお母さんで
ありがとうって言ってくれて
ほっとした
こういうお母さんがいいなあって
強い理想があったり
こういうのがいやだなあって
不満がなかなか消えないとき
そこにひっかかる
種子が自分にあって
男の人でも
こういうお母さんがいいなあって言う人は
自分の中に
慈愛のようなものがあるんだろうし
母と私がいろいろあったのは
私の中の母の原型がつよくて
実の母とは違うこと
母は
理想の子供
というのがあって
それは母の中に
育てていくことを
私に託したから
できないってなったけど
結婚して離れて住んで
私が母親になって
母が自分自身を
育てていくうちに
無意識の思い込みと
強いエネルギーに
振り回されていたときよりは
良くなった
私が子どもと
五年でしたことを
何十年も
かかってしている
お互いに本来の姿で見ること
そんなふうになることを
心から夢見て
諦めたり
長い時間が
すぎた」
12年前に書いた内容を少しコンパクトに転載しました。
自分の親子の関係の一部の話で、
他にもいろいろなことがありますが。
もっと
不満は可能性として、
自分の中の可能性の話もあったけど
たくさんあったのでまた書こうと思います。
子供が自分を大きく描いててなんかホッとする。
ちゃんと分析できてて、
忘れてる今に届いて
最近
人や
自分をまっすぐに見てるかな、と。
(・o・;)
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