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ファンクと雑味(tv Apartment Bを見て)

 サバイバルオーディションのザ ファーストから、スカイハイさんが、音楽愛を形にしていくのをワクワク見ていたら、今度は好きな音楽番組を作られて、Jazzをはじめいろんなことを教えてくれれてます。
 
 音楽に詳しくないので、いちいち面白く、今回は堂本つよしさんがファンクについて説明してくれてました。
 
 リズムのことも面白かったけれど、雑味が入ってるのがファンク、というのが勉強になりました。
 精米して日本酒を作るのがピュア、という感覚がありますが、(自分らしさの例えが)雑味を含んだのが逆にピュア、という発想です。
 
 いろんなリズムを含む自分のリズム全部で、一つのピュアな自分、というのが安心します。
 ロックやレゲェとかいろいろとちょっと入ってても。
 
 今の自分のエネルギーを流すことが大事かな、と思ったことや紹介したいことをnoteに書きはじめました。
 
 10年ほど前に書いたものを読んだら、
今より切実に言葉を書くことを必要としていて、
今の自分が読んだらいまだに自分に必要なので
以前の詩のようなものを少しずつnoteに書き写しました。

 当時は、私は詩を書く方たちへの思い込んだイメージがあり、詩を書く人はキラキラしていて、純粋で、なんか自分は素朴で単純なので 違う町内?なのかな?
そのうち自分にピッタリのものがあるのかな?と考えてました。
 10年以上別のこと、別の土地?を歩いてました。
 
 言葉を探すのができない気がして、癒やすために色彩と遊んでました。
 
 へたでも、
自分が欲する色を選んだり感じたり、その色を味わって、
自分を癒やしたり、
祈り、願いのようなものを込めたり、自分と対話、
瞑想の代わり?
(ヘッセが水彩画は瞑想とか言ってたような)で大事な時間でした。

 一番困ったのが、そのときはその色を塗りたくないのですが、技術としてそうしたほうが良いと言われて、
上手くなりたいのでそうしたのですが、なんか自分の気持から離れて濁ったりするとき。
 
 相手も良かれと思ってて、自分もうまくなるために通ってる、でも
本当は自分と繋がっていくために色を使っていたから?だから、身体が動かない。
 それをきっちり意識してなかったのでした。
 失礼にならないようにしたいし、ややこしく過ごしました。
 まあ大きく言えば良い経験でした。
勉強してよかった!

 いろんなこと全て込みで自分だと、そのバランスは 自分しかいないからいーのだ!と一人でいるときは思っています。
 でもそこからどうしようかな、と。

 ファンクについて、堂本さんの説明を聞いたら、いろいろなリズムでいいんだな、と 全部自分 と改めてのびのびしました。

  当時は自分から出る言葉は、改行して書いただけという感覚で、前向きに考えるための手段でした。
 
 noteをはじめて、松下育男さんの記事に出会って、毎日読むようになりました。
 詩を書いてないのに、毎日毎日読んでます。
 
 以前より
 自分は丸くなり、
やり過ごしたり、
昔は避けていた、鈍くなることをわざと今そうしよう     
 と使ったりしてるので、
そんな状態がなくなったらまた
書けばいいのかな、と思ってました。

でも今のままでもいいのかな。
 人によって、歳を重ね方はちがうけれど、以前とは違ってもいいんだ。
 
 詩の言葉のことは勉強不足でわかりませんが、言葉で伝わることには限界があっても、言葉とは関わりたいな、と思うので、
 
 松下さんの記事を読むと、生きることを肯定していくような気持ちになるので読んでいます。
 
 自分をそれでいーのだ!と思わせてくれる、2つのことがあったのでした。
  

 記事を引用させていただいて、ありがとうございます。

#noteのつづけ方

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